一切をお裁き下さい (上)


  
  
  
                                             詩編26篇1-12節


                                 (序)
  今年は自然災害が多くありましたし、不幸な事件も多く起りました。その上政治の停滞があり、世界的な大不況が今も深まりつつあって、どこまで深刻化するのか、失業者がどこまで出るのか分からない状況です。

  しかしまた、過ぎ去った20世紀を振り返ると、2度の世界大戦があり、それは戦争の世紀だったと言われるほど、多くの戦争が世界で荒れ狂い、不正義と暴力が多くの人を苦しめました。

  近くを見ても、遠くを見ても、「どうしてなんだ。何故なんだ」という問いが、起らざるを得ません。これは、病気で家族を急に亡くしたり、自分が思いがけない病気や事故にあって、災難が降りかかった時にも起る問いです。「何が正しく、何が不正か。その真相を知りたい」と言う問いでもあるでしょう。

  この一年は、後3日で終りますが、今日は詩編26編から「一切をお裁き下さい」という題をつけました。

                                 (1)
  今日の第1節で、この信仰者が、「主よ、あなたの裁きを望みます」と叫んでいるのは、私たちの今述べた状況があるからです。

  ただ、この信仰者は、「私は完全な道を歩いて来ました。主に信頼して、よろめいたことはありません。主よ、私を調べ、…はらわたと心を火をもって試してください。…偽る者と共に座らず、欺く者の仲間に入らず、悪事を謀る者の集いを憎み…」と語ります。そして11節で再び、「私は完全な道を歩きます。…私の足は真っすぐな道に立っています」と述べています。

  この信仰者は、相当自分の完全さに自信があったのでしょう。「潔白を示し」とも言っていますが、完全である故に、「主の裁きを望みます」と自信をもって言うのでしょう。

  しかし残念ながら、私自身のことを考えると、「私は完全な道を歩いて来ました」とは、とうてい語ることができません。もし語れば、それは今年最後の大嘘になるでしょう。

  少し前に夢を見ました。妻が夢に出てきたり、教会の皆さんが夢に出てくることは殆どありません。申し訳ございません。ところが先日、天皇が夢に出てきましたね。皆さんはご経験ないでしょう。ただ天皇が川に落っこちたんです。私の目の前で。で、私は助けました。余り泳げないのに。昔なら、こんなことを言うと不敬罪でしょうね。それだけでなく、天皇のお孫さんがいるでしょう。何とかいう。もう小学生なんです。夢ですから。その子が、私の自転車の後ろに乗るんですよ。それで皇居に行くんだか、どこに行くんだか分かりませんが、もし行ったら守衛に、私が捕まるんではないかと心配しましたね。

  でもこれは夢ですよ。もしこれが本当だと言えば大嘘になりますが、夢ですから嘘とは言えません。

  でも、「私は完全な道を歩いて来ました」と言えば、私の場合、大嘘になります。私の本当の姿は不完全であったし、よろめいたことも、愚痴ったことも多くありました。神を疑ったことも、明日を思い煩ったことも多々ありました。

  にも拘らず、2008年の最後を締めくくる日曜日に、この詩編を取り上げて、「一切をお裁きください」という題をつけたのです。

  このことを思うと、完全な道を歩んで来た人も、そうでない者も、私たち人間は皆、人でなく、まことの神、真理であり、愛であるお方のお裁きを待っている。そのお方がお裁きになるなら、十分得心がいく。それほど私たち人間は誰しも、その故(ゆえ)、その理由が分からない苦難、原因不明の苦難を嘗めている、世には不条理があるという事でしょう。

  先週、アフリカのキリスト者たちが、苦難を受けて、何ら前途に明るい見通しがなくても喜びを失わないこと、そんな只中でもダンスすることを忘れないということを、アフリカから届いたテゼの手紙から紹介しました。先週は触れませんでしたが、彼らが前途に明るい見通しが見えないとか、苦難を受けているということは具体的にはどんなことを指すかと言いますと、ナイロビのテゼの大会でルワンダの青年が、ブラザー・アロイスさんにこう言ったと言います。

  「ヨーロッパの人たちに、ルワンダの青年のため、ぜひとも祈って欲しいとお伝え下さい。我が国の青年の失業状態は衝撃的なのです。また、ジェノサイド(大量虐殺)の苦難に耐える中で、もはや神を信じることができない者たち、また人生も全く信じえない者たちがいるのです。」

  ご記憶がある方もあろうと思います。15年程前のルワンダの大量殺戮は大変なものでした。民族紛争で100万人が殺されたといいます。少年達が兵士に狩り出されて、命の尊さがまだ分からない彼らが、上の命令で自動小銃をぶっ放すという何とも恐ろしい状況でした。そういう中で大人になった彼らが、今直面しているのは、神も信じられないし、人生も社会も人間も信じられないという、恐ろしい事態です。

  「私たちのために神に祈ってください」という言葉は、世界の人たちが決して聞き逃すことのできない切なる願い。叫びです。これはヨーロッパ人だけでなく、もちろん日本の私たちに対する懇願でもあります。言葉を変えるなら、この懇願は、「主よ、一切をお裁き下さい」という願いでもあると言って間違いありません。

  ですから、私はこの題で、年末を迎えている私たちの個人や社会の事だけでなく、世界の人たちの切なる願いも含めて付けているのです。

         (つづく)

                      2008年12月28日

  
                                     板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真;板橋大山教会のユニークなクリスマスの明かり。)