あなたは誰を待っていますか (上)


   
  
  
                                          ルカ福音書2章36-38節


                                 (序)
  今朝も雨の中を散歩しましたが、最近町を散歩しますと、椿がかわいい丸顔の子どものような蕾(つぼみ)を幾つもつけています。花もありますが、まだ緑の固い蕾や唇がちょっと赤く染まったのも無数にあります。皆、自分の時を待っているという感じがします。

  私はそれを見て、この蕾たちも明日を待っているんだ。明日という日があるんだと思うと、無性に嬉しくなります。明日があるということは、希望があるということだからです。明日があっても希望がなければ辛(つら)いですが、蕾たちは明日への希望に生きているように感じられるので無性に嬉しくなるのです。

                                 (1)
  今日の聖書に、アンナという老婦人が出てきました。84歳の人です。ここには、ほぼ同年輩の方々もおられます。彼女は7年間の短い結婚生活をしただけで、若い夫と死別し、その後長く独身のまま暮らして来ました。

  その7年は幸福な7年であったか、不幸な7年であったか。子どもは与えられたか、与えられなかったか。84歳になるまで、どんな風に生計を立てて来たか。再婚しなかったのは、夫との思い出を大事にしたかったからか、それとも他の理由のためだったのか。それら一切のことは分かりません。ただ、彼女は女預言者であったということです。預言者の夫の後を継いで彼女も預言者の使命に生きたのでしょうか。

  夫の死後は、神殿に詣でる生活をずっと続けていたようです。しかも断食したり、祈ったり、昼も夜も神を思い、神に仕える生活をして来たと書かれています。

  これを読んで、こういう人生もあるということ、こういう道を選び取った人も歴史にあったということを知ると、人生の厳粛さを思わぬ訳にはいきません。

  彼女は、マリアとヨセフが幼子イエスを神に献げるために神殿に連れて来た時、「近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々に幼子のことを話した」とあります。

  彼女自身、救いを、また救い主を待っていたのでしょう。だが自分だけでなく、他の多くの人々の願いに心を向けて、その人たちに幼子のことを話したというのです。自分のことだけでなく他の人々のことを思いやる、いや、自分より他の人のことを優先して思いやる心の大きな婦人だったと言っていいでしょう。さすがは女預言者であったと言えます。

                                 (2)
  今日は、待降節アドベント第3週を迎えました。アドベントは基本的に、待つ時です。待つというのは受身でしょうか。あなた任せでしょうか。確かに、椿の蕾たちは受身で静かに春の訪れを待っています。

  しかし、アドベントというのは積極的に待つ時です。積極的に待つとはどういうことでしょう。例えば、遊覧船が川の船着場に着きますと、乗組員が甲板からロープを岸に投げます。すると岸壁でロープを受け取った人は、素早く鉄の太いもやいの杭に巻きつけて、船が川下に流れないように、岸辺に近づくように引っ張ります。船の方も岸に近づけようとしますが、岸の方でも数人がロープをうまく手繰(たぐ)って船を近づけます。

  アドベントというのは、ロープで引き寄せる、手繰り寄せる。そして着くのを待つというような積極的な待ちの姿勢なのです。それがアドベントという言葉の元の意味です。これは当然、アドベンチャー、冒険ということにつながります。無論アドベンチャー企業の中には、余りに儲(もう)けを急ぎすぎて大失敗をするのもあるようです。

  基本的にアドベントは待つことなんですから、アドベンチャーであっても、待てない人、ゆったりした気持ちで待てない人は失敗すると言うことでしょう。その人たちは、椿の蕾たちがかわいい丸顔で、ゆったりと、待つ時を楽しんでいることから何かを掴(つかむ)むべきです。

  皆さんは祈りの力を信じておられるでしょう。でも、祈りは消極的で受身だと誤解しておられないでしょうか。祈りは積極的、能動的な行為です。祈りこそ引き寄せるような力です。皆さんは、この教会が祈りの人であられる大塩先生によって開拓伝道をされたことを、誇りにしておられるでしょうか。私は本当に誇りにしています。実際的な祈りの汗が流されて、この教会は今日まで生かされて来たのです。

  12月10日に、オスロノーベル平和賞の授賞式があって、以前に詳しくご紹介したアーティサリ(Martti Ahtisaari)さんが2008年の平和賞を受賞して、20分ほどの受賞レクチャー、スピーチをしました。現代社会は驚くほど便利です。その20分のスピーチを翌日にはインターネットで聞けました。またスピーチの全文を受け取って印刷できました。

  アーティサリさんは授賞式で、「平和は意志の問題だ」と強調しました。中近東の問題の解決も可能だと、大胆に発言しました。「平和を創り出す人たちは幸いだ」と、イエスは言われました。創り出すというのですから、やはり平和は意志です。職場や家庭に平和を創り出すのも意志の問題だということです。これはえらいことになりましたねえ。

  関係を改善し、平和を創りだす意志さえ持てば、パレスチナ問題も解決すると、力強いメッセージを世界に送りました。また、不平等や格差が紛争を招くこと。貧困の根絶がなぜ必要か。犯罪や絶望や戦争とは何かを述べ、青年たちの失業が何を意味するかを力説しました。よくよく政治家はこれに耳を傾けねばならないと思います。

  フィンランドのYMCAで働き、外国に出てパキスタンのYMCAで働き、その後フィンランドに帰って外務省で働いた後、大統領になり、何期か勤めた後、世界のあちこちの紛争地で和解を創り出して来た人の、手応えあるスピーチでした。

  ノーベル賞というのは、12月に入って授賞式があるというのは、意義深いことです。この時期はアドベントです。カレンダーは違いますが、教会の暦ではもう一年が始まっています。この時期に、世界に平和のメッセージ、希望のメッセージを届ける。すなわち、「地には平和」を告げるというのは、真の意味で大切なことだからです。

          (つづく)
 
                     2008年12月14日
  
                                    板橋大山教会   上垣 勝

  ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、アドベント第3週の灯火。)