あなたは真理に導かれる (下)


  
      
                                                                                        ヨハネ6章12-15節
  
                                 (4)
  とっくに社会に出ながら、また家庭やれっきとした職場も持ちながら、「自分はこんな所でいつまでウロウロしているんだろう」と思う人があるかも知れません。まだ、自分のあるべき所に着いていないというか、人生で行うべきことをまだ行っていないというか、馴染めない町を歩いているような思いで生きていると感じている人たちです。

  ある人と話していて、「私たちの人生は傷つき、破れ、打ち砕かれたものでいっぱいだ」と言うことが話題になりました。そのために力が出ない。明日に立ち向かって行く力が出ないというのです。

  私たちに必要なのは、私たちを力強く押し出してくれる希望の源ではないでしょうか。先ほどの招きの言葉に、「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ち溢れさせてくださるように」(ローマ15:13)とありました。この希望の源が必要なのです。

  私たちに勇気を授け、一歩を始めるに必要な根拠、力になるもの、何回も繰返してそこに戻って行っては、またそこから力を得て、明日に向かって立ち向かって行ける希望の源泉、真理の源泉。それがなければ、私たちの人生の旅は闇と絶望へと向かうだけで永久に力が出ないままでしょう。

  聖霊が私たちに悟らせて下さるのは、そういう命の真理であり、希望へ、力の源へと導いて下さる真理です。「聖霊の力によって希望に満ち溢れさせてくださるように」という祈りは、今日の社会において最も必要な祈りだと言っていいでしょう。

  世界に暗雲が垂れ込める中で、アメリカの次期大統領にオバマさんが選ばれ、来年早々大統領に就任します。私はオバマさんの6つの演説を読みましたが、信仰的にもマルチン・ルーサー・キング牧師の影響を強く受けた方だと思いました。読み応えのある演説です。幾つかは後世に残る名演説です。

  皆さんの身内に受験生がいるでしょうか。今年の大学入試は必ずこれが出ますから、よく勉強しておいて下さい。○○さん、どうでしょうか?教えておられる教科は違いますが。

  彼は投票日の直前に、自分を大切に育ててくれたハワイのおばあさんを亡くしました。それは彼を非常に悲しませました。また、多くの辛らつな批判にさらされて気が滅入ることもありました。そのため、彼は最終日の演説会場では気持が沈みがちになっていたそうです。

  そしたら、会場の前方にいた背の低い女性が、「もっと元気を出して!そら、行け!」と大声で何度も繰り返したんだそうです。そういう中で、やがてムードが盛り上がって、オバマさんは再びいいキャンペーンができたそうです。

  そんなことがあって、オバマさんは演説の最後で、「たった一人の声が、何かを為すことができることをここで示されました。一人の声が、部屋全体の空気を変えます。一人の声が部屋の空気を変えれば、一つの町の空気が変わります。町の空気が変われば、州の空気が変わります。そして州の空気が変われば、国の空気が変わり、国の空気が変われば世界の空気が変わります」と話しました。

  経済的不況、イラク問題、テロの多発、地球温暖化などの脅威の中で、世界の人々が待っているのはそういう新しい空気です。

  そして、聖霊が悟らせて下さるのは、私たちを力強く押し出してくれる一つの希望の源です。希望の源が与えられれば、私たちに勇気が授けられます、勇気が授けられれば、私たちの課題に立ち向かって行く力が生まれます。その様にして、聖霊は真理を悟らせ、新しい空気をつくり課題を乗り越えさせてくださるのです。

                                 (5)
  と言っても、聖霊が導いてくださるのは新しいブランド物の真理ではありません。イエスが残されたものにつけ加えるような知識ではありません。そうではなく、その真理の内側から悟らせ、真理を私たちの内側で悟らせて下さる方です。聖霊は真理の霊ですから、真理の内側から悟らせ、私たちの内側で悟らせて下さるのです。

  すなわち、聖霊は神とキリストの真理を私たちの心の中からアーメン、本当にそうです、と納得させて下さるお方です。「ことごとく」とは、そういう意味を含んでいます。

  しかし、私たちは個人で、あるいは小さなグループだけでその真理の全体をことごとく悟ることはできません。どんなに悟っても神様の真理の一部分、真理のカケラでしかありません。誰も、真理全体を独占できないし、それは人間には許されていません。もし自分は真理の全体が分かったという人や団体がいるなら、それこそ随分歪んだ、片寄ったものです。それは単に「己が腹を神としている」に過ぎません。

  しかし、私たちが悟る真理が、出来るだけ普遍的な真理であるようにと願うことはできます。真理を探究し、できるだけ普遍的な真理であるために、私たちは過去や伝統に帰ることも必要です。しかしそれだけでは不十分です。私たちは、様々な伝統や文化や他の国々や他の民族のキリスト者。また他の歴史を持つキリスト者などにも広く耳を傾け、交わりを持つことが必要です。むろん教会の中にも私たちの視野を広げてくれる異質な他者がいるでしょう。その様な人と出会って行くことが大事です。

  特に若い方々には、広い視野を持ったキリスト者に育っていただきたいと思います。

  キリストの真理は無尽蔵です。ですから、私たちがキリストの真理に深く根を降ろして生きるために、私たちは、世界でキリストに根ざして生きる様々なキリスト者に耳を傾け、また出会っていく必要があります。大胆になってください。自分をも越えて行って下さい。色々な考えや、信仰の表現を持つ信仰者が世界にいることは、神様が与えてくださる恵みの豊かさです。

                             (完)

               2008年11月30日

                                    板橋大山教会   上垣 勝

  ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、ホントネー修道院で。ホントネーとは「泉に泳ぐ人」という意味です。)