あなたは真理に導かれる (中)


  
  
                                                                                       ヨハネ6章12-15節
  
                                 (2)
  イエスは世を去るに当たって、すでにヨハネ15章で、有名な、「ぶどうの木のたとえ」を語られました。「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」それは、「私の愛のうちに留まりなさい」という風にも言い換えておられます。これらが、イエス亡き後の信仰と生活の根本命令として語られています。

  この「留まる」という言葉は、ギリシャ語では、住むとか、滞在する、住み続ける、居つくといった言葉です。

  ヨハネ福音書1章は、イエスがこの世に来られたことを、「言は肉体となって、私たちの間に宿られた」という風に表現しています。イエスも宿られたのです。この宿るという言葉と今日の宿るという言葉はニュアンスの違う言葉が使われていますが、宿るという意味は同じです。

  これは、イエス亡き後をどう生きるかの根本的な生き方を教えるものです。それは、イエスの愛のうちに身を置き続けること、居つくこと、どんなことがあってもそこに留まって、イエスにつながり続けることのご命令です。その様にして生きる時に、豊かに実を結ぶと約束されているのです。

  信仰に入って間もない方もおられますが、洗礼はまったく信仰の第一歩です。すっかり分かってから洗礼を受ける訳ではありません。その後イエスにつながり続け、イエスの所に住み続ける。そこに居続けようとする。すると、ぶどうの木につながる枝のように、イエスから命を与えられて豊かに実を結ぶのです。

  ちゃちな約束は取り消されたり、破られたりしますが、イエスの約束は決して破られず、必ず実を結び、実現されるものです。それは、どんなことがあってもイエスの愛に留まり、住み続け、あえて留まり続けるに値するものです。

                                 (3)
  さて、イエスと一般の思想家の違いはどこでしょうか。また、釈迦や孔子ソクラテスなどとの違いはどこでしょうか。

  これらの人たちは大切な書物や思想や言葉を残しました。イエスも言葉も残されましたが、その違いは、少し妙な言い方ですが「1個の生きた人格」である方を残されたことです。それが聖霊というお方です。

  日本のキリスト教会は、聖霊をあまり重視して来ませんでした。そのために、今日の13節の「その方、すなわち真理の霊が来ると…」という所などは、これまでは「その方」でなく「それ」と訳して来たのです。「それ」とは「もの」に対する呼び方です。尊敬する人を「これ」とか「あれ」と呼ぶでしょうか。人格に対する呼び方ではありません。でも、聖霊に対してそんな認識でしかなかったのです。ですから「その方」と訳し直したことは画期的な前進です。しかし、そのことがどういうことか、日本の牧師はまだよく分かっていません。一般の信徒の方もそうでしょう。

  キリスト教はイエスの生涯、十字架の死と復活の出来事に常に耳を傾けて来ました。そこにキリスト教の独自性があります。それ抜きにはキリスト教は命を失います。そして、「十字架と復活は私たちに何を語っているのか」ということ、あるいは神とはキリストとはどういう方か、罪とは福音とはどういうものかということを、聖霊が私たちに教えて下さるのです。

  しかも、新しい困難な時代の状況を迎えて人々が悩むたびに、行く先が分からなくなるたびに、十字架と復活を通して神がその時代に語っておられる福音、行くべき方向を教えて下さるのが聖霊です。

  今日の所で、「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなた方を導いて、真理をことごとく悟らせる。その方は自分から語るのではなく、聞いたことを語り、またこれから起ることをあなたがたに告げるからである」とあるのが、そのことを示しています。

  聖霊は、十字架の上から差し来る光、また復活の希望の光を私たちの上に注ぐことによって、福音の恵みの尊さと深さを明らかにし、真理を明らかにして下さるということです。

  「その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、またこれから起ることをあなたがたに告げる…。その方は私に栄光を与える」とありますが、聖霊はキリストの栄光を輝かされる方です。イエスが語った言葉の意味を掘り下げ、明らかにすることによって、キリストに栄光を帰す方です。

  ですから、聖霊が私たちに働いてくださるために、キリストの言葉に留まり、その言葉を生活の中で黙想することが欠かせないのです。そうしていると、み言葉の意味が内からパッと打ち開かれ、光が射し出でて、より深い福音の理解を与えます。真理を明らかにして下さるとはそういうことです。

  星野富弘さんの詩画集の中に、春蘭の美しい絵があります。そこに、「どんな中にも、神さまに愛されている。そう思っている」と、全身が今も動けない星野さんが口にくわえた絵筆で書いておられます。そして、続けて、「手を伸ばせば届くところ、呼べば聞こえるところ、眠れない夜は枕の中にあなたがいる」と書いておられます。

  眠れない夜、「枕の中に神がおられる」というのは素晴らしい発見です。安心して眠れない夜でも過せます。このことも、真理のみ霊が、星野さんを導いて悟らせて下さったことだと思います。

      (つづく)

               2008年11月30日

                                    板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真は、泉が至る所にあるホントネー修道院。)