この家に救いが来た


   
  
                                             ルカ19章1-10節
  
                                 (序)
  先ほどは、子どもたちがこの一年も守られたことを感謝し、次の一年も祝福を与えられるようにと一人ひとり、額に祝福の油を塗って祝福式をしました。今日は、小さい人たち向きにお話しをと役員会で言われていますので、小学生の皆さんに向けてお話します。

  もし、皆さんに誰も友だちがいなかったら、どうでしょう。まったく一人ぼっちだったら。一人ぼっちだけでなく、みんな自分を嫌っているとしたら、味方になってくれる人がいないとしたら、どうでしょうか。辛くって、たまらないんじゃありませんか。淋しくて、悲しくて、消えてしまいそうで、たまらないでしょう。

  ヒキガエルって知ってます?体はデブで手足は短い。顔は醜くて、背中に沢山イボイボがあって、そこから毒を出します。のっそり、のっそり腹ばいで歩いて、虫を見つけるとべロッと長い舌を出して一飲みにします。聞くだけでもヒキガエルって厭(いや)だって思う人もあるでしょう。ヒキガエルはみんなの嫌われ者です。

  でも、ヒキガエルは好き好んでヒキガエルになったわけではない。自分でヒキガエルに生まれたいなんて思って醜いカエルに生まれたのではありません。

  もし皆さんが、もしですよ、本当はここにいる女の人は全員美人ですし、男の人はハンサムですが、でも、もし皆さんがヒキガエルのような人に生まれていたらどうします?みんなにいじめられて嫌われ者。友だちが一人もいない。自分でも自分が厭だということになったら、どうします?

  でも、唯一つ、頭はいい。そしてお金儲けがうまい。嫌われ者だけど、みんなが嫌いな仕事をしてお金は誰より儲ける。そんなんだったら。

                                 (1)
  さっき読んで頂いた聖書のザアカイさんという人は、そんな人でした。背が低かったと書かれていたでしょう。太ってデブでもあったらしい。

  ザアカイは「徴税人の頭で、金持ちであった」とありました。徴税人というのは税金を取り立てる仕事をする人です。今の税務署の仕事ではありません。ただ税金を集めるのでなく、貧しい人からも無理に取り立てて、払えなければ家を追い出して家を取上げてしまう。ですから徴税人は誰からも嫌われ、憎まれていました。「罪人」だと言われて、誰も仲間に入れてくれませんでした。でも、ザアカイさんは徴税人の頭、社長だったのです。

  皆から嫌われましたから、その仕返しをするために、頭を働かせてもっと税金を厳しく取り立てたのです。でも、友達は一人もいないので、それがつらくって、つらくってたまらないんです。でも、自分を避けて、誰も友だちになってくれませんから、もっと仕返しをするためにお金持ちになって、大きな立派な家に住んで、今なら外車を持っている、スポーツカーも持っている、モーターボートとかヨットとかも持っているって所でしょうか。町の人達を、頭の悪い貧乏人と呼んで馬鹿にしていたんです。

  でももう一度言いますが、どんなに威張っても誰も友だちになってくれる人がいませんから、心の中では淋しくて、悲しくて、つらくて、消えてしまいそうでたまらないんです。

                                 (2)
  ある日、ザアカイさんの町にイエス様たちがやって来ました。すると子どもも大人もお年よりも、イエス様を一目見たくて、あっちの家からもこっちの家からも、近くの町や村からもやって来て、エリコの大通りは人で一杯。赤ちゃんを抱いている人もいます。杖をついている人もいます。小学生、中学生、お兄ちゃんやお姉ちゃん達もいます。それで道路の両側は人で一杯にあふれました。板橋区民祭りの時みたいです。

  ザアカイさんもイエス様を見ようと急いで走って来ました。お金儲けのお仕事があるのに今日は特別です。でも背が低くて、背伸びしても見えません。前の人を掻き分けて先頭に出ようとしますが、ザアカイさんはデブですから中々前に進めません。

  それもそのはず。町の人はザアカイさんが大っ嫌い。ザアカイさんだと知って、通せんぼです。右に行っても通せんぼ。左に行っても通せんぼ。あっちに行っても、こっちに行っても意地悪して、誰も空けてくれません。

  もう泣き出しそうです。しかし、「負けるもんか。負けてなるもんか。必ず仕返ししてやる。」

  ふと見ると、イエス様が進んで行かれる先の方に、一本のイチジク桑の木が目に留まりました。「そうだ!イエス様の先回りをして、あの木の上から見下ろしてやろう。こいつ等が拝んでいるイエスという奴をオレは見下ろしてやろう。」思うが否やもう走っていました。木によじ登ると、早く来ないかなあと待っていました。

  イエス様はお弟子さん達とお話したり、笑い合ったりして、ゆっくり歩いて来ます。病気の人に手を置いて癒したり、言葉をかけたり、立ち止まったりなかなか来ません。

  とうとう近づいて来ました。「どんな奴だろう。」身を乗り出して、イエス様とお弟子たちをじっとうかがいました。

                                 (3)
  ところが、イエス様が丁度イチジク桑の下に来られた時、突然お顔を上げて、木の上のザアカイさんを見つめられたのです。そのお顔はとても優しく、柔和で、輝いていました。

  気の強い、さすがのザアカイさんもドギマギしました。目をそらそうとした時、イエス様はにっこり笑って、「ザアカイさん、急いで降りて来なさい。今日はぜひあなたの家に泊めていただきたい。泊めてくれませんか。」

  それを聞いてびっくり。自分のような所に、救い主と言われている、皆が大好きなイエス様がお泊まり下さるなんて!これまで誰も泊まってくれた人はありません。友だちがいない自分に、イエス様が友だちになって下さろうとは!信じられなくて、泣き出しそうで、胸が熱くなって、破裂しそうになりました。

  周りの人たちが囁き合っています。中には、「イエスはこんな罪深い、悪人の家に泊まろうとしている。イエスもザアカイと同じように、おかしいんじゃあないか」と言う人もあります。そう言われてもイエス様は、ニコニコして「泊まらせてくれますか」と優しくお尋ねになっています。

  その時、ザアカイさんはイエス様の前にひざまずいて、「イエス様、私はこれまで皆に勝とう、勝とうとして、悪いことまでして金儲けをして来ました。お金儲けで仕返ししていました。しかし今日から、私は持っているお金の半分を貧しい人に差し上げます。また、だまし取っていた分は、4倍にして返します。私は今日から、正直で、正しい人になります」って言い出したのです。

  するとイエス様は、先程よりもにっこり笑って言われたのです。「今日、神様の救いがこの家にやって来ました。」イエス様は、ザアカイさんが良い人に生まれ変わったことをとてもとても喜ばれたのです。

  ザアカイさんはイエス様から愛されて変わったのです。人間は愛される時、生まれ変わるのです。本当の愛は憎しみの氷も解かしていくのです。

  ザアカイさんは先回りして、イチジク桑に登ってイエス様を見下ろそうと待っていました。でもイエス様がこの町に来られたのは、実は、人を上から見下ろそうとしている人を救い出すために、ずっと前からこの木の所で会うつもりであられたのです。先回りしたザアカイさんより先回りして、この木の下で会おうとしておられたのです。それで、初めて会うザアカイさんの名前を前から知っておられて、「ザアカイさん」って親しくお声を掛けられたのでした。

                        (完)

     2008年11月9日

                                      板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真は、ホントネー修道院の中庭から見た礼拝堂。)