忘れられぬ傷 (下)


                                           
                                          ルカ23章32-38節
  
                                 (4)
  旧約の預言者イザヤは、別の面からキリストを預言しました。「彼は悲しみの人で、病を知っている。軽蔑され、人に見捨てられ。…彼が担ったのは私たちの病であり、彼が負ったのは私たちの痛みであった。…彼の受けた傷によって私たちを癒された。…彼は自らを償いの供え物とされた。…彼は自らの苦しみの実りを見て満足する。」

  このイザヤ書53章の中にイエス・キリストの十字架、その償いの恵みが先取りされているのは明らかです。イエスは苦しめられる者からも、陥れようとする人たちからも逃げられません。攻撃されてそれに備えるでなく、予め準備することも考え直すこともなく、ひるまず神のみ旨を引き受けられました。

  「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか知らないのです」と語られたのですから、イエスはまったく心を開いて愛し、たとえ傷つけられることがあっても愛して行かれるのです。「完全な愛は恐れをとり除く」とは、イエスにおいて当てはまります。恐れることのない、これほど完全な愛はありません。

  この意味において、十字架のイエスの生きざまは、信仰をもたない人々も含めて全ての人が直面する赦せない人の前で人としてどう生きるのか、どう対するのかという実存的な次元の問題でもあります。敵が自分を苦しめるのは普通のことだとしても、私たちの友や愛する人の手によって苦しめられる場合、どうして同意できるでしょうか。恩を仇(あだ)で返された場合です。

  イエスが「汝の敵を愛せよ。迫害する者のために祈れ」と命じられたのは、ご自身が忘れられぬ傷を受けつつ、なお神の赦しを祈られた方であったからです。

  イエスは、赦しにおいて人類の一歩先を歩いておられます。愛は、自分が傷つくことに対しても広く心を開いたままにしておくことです。傷つけられやすい可能性を持ちつつ神の前に歩むことです。

  朝鮮戦争は1950年から53年の4年間にわたってありました。同じ国民による恐ろしい殺し合いであったために深い傷を残しました。その背景には日本の植民地支配の責任もあります。それ以来、南北に分断されて家族も自由に交流できません。この分断された国境線から数キロの所に、テゼのブラザーたちが約30年間住んでいます。一人は刑務所や死を迎えつつある人たちを訪ねて励まし、もうひとりのブラザーはステンドグラス作家で、韓国のあちこちの教会のステンドグラスを制作してきました。後の一人は大学で教え、韓国の詩や小説を英訳して来ました。

  1980年前後に、北朝鮮との国境線近くに住むというのは常識では考えられないことでした。北朝鮮軍が攻め込めば真っ先にやられる、最も傷つきやすい村です。そこに武器を持たずただ祈りだけをもって、南北の統一と平和を祈るために小さい家に住み始めたのです。まるでブラザー・ロジェさんが2分されたフランスの国境線近くに隠れ住んだように、です。彼らはひっそりと隠れて存在しています。むろん隠れてと言ってもスパイ活動のためでなく、自分たちのことを宣伝しようとしないという意味です。

  だが彼らは南北の平和を先取りして、和解の小さな徴であろうとしています。小さな徴です。しかし、彼らの存在は韓国の青年たちへの強い励ましとなり、朝鮮民族統一の希望の灯になっています。人類の一歩前を行かれるイエスのみ後に従って、たとえ自分たちが傷つけられることがあろうとも、キリストは韓国の人にも北朝鮮の人にも大きく愛のみ腕を開いて待っておられることを示す徴になっているのです。

  彼らが韓国に移る前は日本にいました。当時日本の教会は彼らの存在に殆ど目に留めませんでしたが、狭山の被差別部落にあって和解と信頼の徴になろうとしていました。1970年代です。

  私たちが幼子のようになって先のことは神に預けて赦すのです。赦せない者を赦すとき、私たちは神によって自由であることを知ります。キリストは十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください」と願われました。主は十字架の上でまたとない自由をもって今も輝いておられます。

         (完)

       2008年7月27日
  
                                           板橋大山教会   上垣 勝
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  (今日の写真は、ボーヌのマーケット・プレイス。)