忘れられぬ傷 (上)


  
                                          ルカ23章32-38節

                                 (1)
  イエスは2人の犯罪人と一緒に、まるで同様の罪を犯したかのように十字架につけられました。今の言葉で言えば紛れもない冤罪(えんざい)です。ここに傷つけられ侮辱されたキリストがおられます。だが、その時イエスは、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言われたのです。

  十字架のそばでは、処刑人たちがイエスの服をくじ引きで分け合っていました。群衆は遠巻きにしてイエスの処刑を興味深そうに見つめていました。まるで珍しいパーフォーマンスを見物するかのように、手足に太い釘が打ち込まれるたびに固唾を呑み、槍で脇腹に止めが刺されるたびに身を震わせ、残酷だとつぶやきながらスリルを味わっていました。

  死刑の判決を下した最高議会、日本で言えば国会議員たちもこの場にいました。彼らは「あざ笑って言った」とあります。彼らはイエスをせせら笑ったのです。兵士達は「侮辱した」とあります。彼らは、ピラトの前でもイエスを侮辱しましたが、死の直前にも侮辱をやめなかったのです。そして、今日の聖書に続く39節以下では、犯罪人の一人はイエスをののしっています。彼は大声でわめき、本当は自分自身にぶつけるべき悪口雑言をイエスにぶつけたのです。

  私たちの国では、今の法務大臣になって死刑執行が急に激増しました。僅か7ヶ月に13人が処刑されました。余ほど死刑好きの大臣のようです。まさかストレス発散の場にしているわけではないでしょうが。

  これまで冤罪で処刑されてしまった人たちもあります。恐らく福岡事件も冤罪だったろうと言われて、落合恵子さんや土井孝子さんたちが、本人はもう処刑されましたが再審を求めています。犯人にされた人は処刑寸前まで無実を主張し続け、獄中で3千巻の写経をし、観音像などの仏画を描き続けました。この渾身の力を込めた作業にもその無罪が物語っているように思われます。

  「叫びたし、寒満月の割れるほど」

  寒く、凍(い)てつく真冬の空にかかった冴えわたった満月が、余りの寒さに音を立てて割れてしまうほどに、悲痛な絶叫の叫び声をあげて叫びたい。それが、濡れ衣(ぎぬ)を着せられた人の人情ではないでしょうか。

  今日は「忘れられぬ傷」という題ですが、イエスの処刑ほど忘れられぬ傷はありません。イエスご自身にとってもまた神様にとっても、です。そしてこの傷は人類の歴史にとっても動かすことのできない傷になっています。しかし恨みが募る「忘れられぬ傷」でなく、こんな傷を受けながら「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言うことによって、イエスが「赦された」忘れられぬ傷になっているのです。

  十字架とは、世界の歴史の中に今なお立ち続ける、傷つけた人たちを「赦される傷」です。

                                 (2)
  さて、私たち個々人も忘れられない傷があるのではないでしょうか。人から傷つけられたこと、大事なときに無視されたり、侮辱を受けたり、事実を曲げて人の前で糾弾されたり。そういう場合はなかなか傷は癒えません。中には人を傷つけて、そのままにしたことが傷になっている人もあるでしょう。自分で自分を傷つけて来たという人もいるかも知れません。

  私には、もしどこかで出会えば真っ先に詫びようと思っている人がいます。何十年も前のことですが、最近になってそういう心境になっています。その人が私にした酷いことはひと言も言わずに先ず詫びることから関係を始めたいと思っています。田舎にいたときはその人と会い可能性はありませんでしたが、東京に来て会う可能性がでてきて、こちらから先ず詫びたいと決心したのです。

  心と人間関係の健康を保つには、傷を受けたり与えても「忘れられぬ傷」にしないことが大事で、その場その場ですぐさま手当てをすることが肝要ですが、それでもできないことがあります。

  なされた事もなした事も取り除かれません。愛の中で徐々に溶かされ、作り変えられるためには時が必要です。しかし、ある種の痛ましい状況においては、傷が癒されるためには、傷を忘れることよりも、自分が受けたその事実をキリストの前に繰り返し持ち出して、キリストによって解決していただくのを待つことが必要です。

            (つづく)

     2008年7月27日
  
                                           板橋大山教会   上垣 勝
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  (今日の写真;ぶどう酒の町ボーヌの日曜日は人の姿がなく閑散としていました。)