通りすがりの出会いから (下)


                                            
                                           マルコ2章13-17節
                                 (2)
  さて、ヨハネ21章に「あなたは私を愛するか」という言葉が出てきます。イエスがペトロに語られた言葉です。ペトロはイエスの弟子であることを否認して、人生の途中で立ち上がれないほど挫折している。そのペトロを、復活のイエスがこう言って招かれました。

  イエスはいつも私たちの人生を通りすがる方です。いつ私たちのところを通りすがられるか、その瞬間は私は選べない。しかし、一番大事な時、時満ちた時に、ある日突然みことばが私たちの心を貫き、心を捕えるのです。一つの出会いが、一つの事件が私たちの人生を変えてしまい、この方について行こうという決意を起こさせます。

  レビは、「私に従ってきなさい」と言ってイエスから招かれました。召命、英語でVocation と言いますが、召命は先ず何よりも、私に起る一つの出会いです。

  では、私がその時を選んだのではなく、キリストが私との出会いを作られたのだとしたら、私の自由はどこにあるのでしょうか。私はキリストに引っ張りまわされ、私の主体性はなくなっているのではないか。たまたま私が従うと決意したのであって、なぜ決意したかと問われても答え切れない所があります。

  レビの場合も、通りがかりに「私に従いなさい」と言われ、彼は立ち上がって従いました。余りにも即座のことで、レビの自覚も、責任も、自由な選択の余地もないように見えます。

  だが、レビは「立ち上がって従った」時に、自由になったのです。この時、彼の人生に真の自由がサッと射し込んだ。催眠術にかかって立ち上がったのではありません。

  この時まで、彼は徴税人の机に座って、自分で自由に色々なことを処理していました。帳簿をつけたり、集金の手配をしたり、ゴロツキを集めて税金の取立てに出かけたり、その時の応援のゴロツキのパート代を幾らにするか、何人雇うか。そんな計算もしたでしょう。ローマの役人たちの接待も怠ることはできなかったでしょう。タクシー券の手配、つけ届け…。昔はそんなのは無かったですか。でも、袖の下を贈って利権を確保したりはあったでしょう。食事に来た人の顔ぶれを見ると、彼の周りには罪人がウヨウヨしていたように書かれています。

  仕事をすればするだけ増える仕事。自分が仕事の主でありつつ、仕事の奴隷になっている自分。しかもローマの関係機関らの呼び出しもあり、頭の固い役人たちの吹っかけて来る無理難題。

  しかし、イエスに呼ばれて、今「立ち上がった時」自由が訪れたのです。この瞬間に、人生の視界がずっと地平線のかなたまで一気に広がった。というのは、キリストがおられる所には聖霊もまたおられます。キリストの呼びかけは、私たちの心の深い所の何ものかに触れ、私の方が自覚的に呼応しているからです。招きは外から来ますが、同時に内側からも来ているのです。だから催眠術ではなく、自分の意志で立ち上がったのです。

  そして、そのような応答は、命令されるよりももっと自由で創造的な力強い応答になります。イエスが私を招き、私が応答するとき、私を縛っていたものがプッツリと切れて外れ落ちます。私を閉じ込めていたもの、私を苦しめていたものから解放されます。イエスが私の主になって下さったからです。

  この間、新聞を見ていたら、東京女子大の広告が出ていました。決して大きい広告ではありません。そこに、「芯があるから揺るがない」とありました。東京女子大キリスト教主義の下に、確かに芯のある人たちを輩出させてきました。イエスが私の主になって下さるとき、自分の中に確かな芯が生まれます。その芯は巌のように確かな芯です。その芯はどんなことがあっても失くしてはならないと思います。その芯は、人間主体に自由を与える芯です。

  イエスには、私たちが自由に、自発的に応答することが重要なのです。するとその応答は創造的になります。そして、そのような応答は確かな芯となって私たちを支えます。すなわち、イエスが私たちの根底から支えるのです。キリストは、「ねばならないもの」、律法を押し付けられません。しかし、キリストの招きは先ず個人的な出会いの出来事であり、それが私の中で喜びになり力になるかどうかは、私がそれを受けるかどうかに懸かっています。

        (完)
 
      2008年7月13日

                                           板橋大山教会   上垣 勝
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  (今日の写真は、ボーヌ郊外の村で)