世界を包んだ12人 (上)


     
                                          マルコ3章13-19節

                                 (1)
  マルコ福音書は4つの福音書中一番早く書かれたもので、大変簡潔に生き生き書かれていてイエスの素顔が最もよく表わされている福音書です。イエスが何人かの弟子たちにニックネームをつけておられたことも、マルコだけが率直に記していてほほえましい気がします。

  漁師のシモンはアンデレと兄弟でしたが、イエス様はシモンの方にはペトロ、岩というニックネームをつけて普段からそう呼んでおられてようです。彼は岩のような頑固な所があったのでしょうか。よく言えば強固な意志を持っていた。堅物でもあったかも知れません。また信頼できる人物でもあったということでしょう。

  次のゼベダイの子ヤコブヨハネ。彼らもガリラヤの漁師でした。この兄弟にはボアネルゲス、雷の子というニックネームで呼ばれたようです。雷の子というのですから、すぐに切れる、怒りやすい兄弟だったかも知れません。確かにそういう人がいますね。板橋に住んで3年少しですが、大山の2つのお店でそういう経験をしました。1人は青年でしたが、もう一人は別の店の店主のおばあちゃんでした。東京は怖いと思いました。

  ゼベダイの子ヤコブヨハネは他の弟子たちに強いライバル意識を持っていたようで、母親譲りであったようです。昔も今も子どもは親の血を継ぐのですね。しかし、ただ怒りやすいだけでなく、雷鳴の轟(とどろ)きのごとく何者も恐れず神の真理を語る兄弟でした。特に兄のヤコブはそうだったと想像されます。そのためでしょう。彼は使徒言行録12章で、12弟子の中では一番早くヘロデ王、ヘロデ・アグリッパ一世王によって剣で殺され、殉教の死を遂げました。

  少し飛んで、熱心党のシモンという人も出ていますが、ルカ福音書では、「熱心党と呼ばれたシモン」となっています。熱心党というのは、当時反ローマ帝国闘争をするユダヤ民族主義者、愛国主義者の集団でした。日本で言えば、ズバリでありませんが右翼のような集団です。だが、ルカ福音書が「熱心党と呼ばれたシモン」と書きますから、熱心党員でなく、イエス様からそういうニックネームを頂戴していただけかも知れません。いずれにしろ熱烈なものを持って生きていた人物です。もしかすると、熱心党員のようにいつも懐にドスを忍ばせていた人物だったかも知れません。

  ともかくイエスの周りには、20代、30代の生き生きした男たち。中には荒くれた所もある、胸厚く、肩幅の広い、今だったらサッカーや野球選手のような汗臭い男たちが集まっていたことが分かります。私たちの教会は、牧師は胸が薄く頭も薄く、集まる人は女性が殆どですが。

                                 (2)
  しかし、そういう勇猛果敢で、荒々しい猛者(もさ)だけがいたのではありません。

  アンデレは兄のペトロと共に漁師でしたが、静かなタイプの青年です。兄の元気さの陰に隠れて、内省的である彼は目立ちません。しかしヨハネ福音書では、アンデレが先ずイエスと出会い、兄のペトロにイエスのことを話したとあります。アンデレが兄に話さないとペトロはイエスの出会うことはなかったかも知れません。アンデレは内省的な静かな青年ですが、大切な所ではしっかりと働いています。

  ペトロは12弟子のリーダー格ですが、力みすぎる所があるし、早ガッテンする所があります。ちょっとおっちょこちょいです。彼が生涯悔いたのは何と言っても、イエスを知らないと言って、弟子であることを人前で否んだことです。だが、やがてペンテコステ後にはキリストの霊、聖霊に満たされて大胆にキリストを証しして行きます。

  彼は異邦人伝道、外国人伝道を先ず最初に行ないます。その事によってキリスト教は、ユダヤ教の一派から脱却して行きます。そのためには、先ず彼自身が己の「異邦人は汚れた者」という考えを打破されなければなりませんでした。彼はキリストによって砕かれて、世界伝道という新しい道を切り拓く人になって行きました。

  そういう意味では、彼は幾度も砕かれた人です。砕かれて真理へと導かれて行った。何才になっても、私たちは砕かれる必要があります。「幼子のようになりなさい」とは、砕かれる人になりなさいという意味でもあります。砕かれる人は伸びて生きます。必ず成長します。砕かれてまた新しく歩み始める、そういう人には魅力も伴います。ああ、生きているなあって思わされます。

  人生の真の意味での中心になるものを持たないで、人間としてそれでいいのかと思います。家庭というのは主人の月給を待っているだけの所。そして子育て。いい学校に入れて、いい大学に入れて、いい会社に入れる。他に趣味はあるがそれだけで、それが人生だ。それだと何のために生まれたのか、人生の真の中心になるものはどこにあるのでしょう。そんなことだと結局フラフラして生きざるを得ません。何も掴(つか)むことなく人生を終ります。人生の中心になるものつかんでこそ人の人生です。

  やがてペトロは、パウロと同じくローマまで伝道をしてそこで殉教の死を遂げたと言われます。しかも、逆さ十字架にかかって死にました。当時キリスト教の中心はユダヤです。彼はそこの指導者です。ローマまで行く必要がないのです。でも彼はそこに宣教に出かけて、そこで亡くなるのです。そういう情熱をもって生きた。

  弟のアンデレは内省的で、ただの引っ込み思案であったでしょうか。だが彼も魂の内に強いものを秘めていました。彼はアカヤで、アカヤはギリシャアテネの近くですが、彼も殉教の死を遂げています。しかもX型の十字架につけられて亡くなったようです・

                                 (3)
  フィリポは悲観的なところのある青年でした。イエスの宣教の意図をしっかり掴むタイプではありません。自信のなさが窺(うかが)われます。それで内省的なアンデレに相談して協力を求める場面もあります。

  次のバルトロマイはナタナエルと同一人物だろうと言われています。どっちかの名がニックネームだったかも知れません。彼はごまかしのない正直者でした。その上気丈な若者でした。

  このようにイエス集団は何年か寝食を共にし、互いに心を許し合った交わりの中で、ニックネームで呼び合いながら、イエスによって訓練されて行ったのです。にも拘らず、弟子たちはイエスを見捨てて逃げ去ったり、裏切ったり、弟子であることを否定したりするわけですが、それをイエスは受け止めながら、しかも信じられないほど際限のない愛で彼らを愛して行かれたのです。

  マタイは税金を取り立てる徴税人でした。どこか孤独の陰がある青年です。熱心党とは逆に、徴税人はローマ帝国の手先として税金取立てをしましたから、立場は熱心党とは逆です。イエス集団はそういう政治的には両極の人たちをも抱え込んでいました。彼は税の取立てをするわけで、経済にも事務的なものにも法律にも明るかった筈です。漁師とかは無学な人間ですが、彼は教育も受けていたでしょう。弟子たちはまさに様々な人間からなっていました。

  アルファイの子ヤコブとタダイですが、彼らも実の兄弟だという説があるもののはっきりしません。マタイ福音書は「アルファイの子ヤコブとタダイ」なっていますから、兄弟と考えている。しかし、今日のマルコ福音書では2人の名前の間に読点、コンマがありますから、兄弟ではないと考えているわけで、福音書自体彼らはどういう人物かはっきりしなかったのです。このヤコブは先のヤコブに対して、小ヤコブと言われる人物です。しかしこの兄弟のことはあまり福音書に登場しません。影が薄かったのでしょうか。影が薄いと言ってもイエスから使命を与えられて弟子として何かの良い働きをしていたに違いないのですが。

  この辺りでお城の石垣と言うと皇居まで行かないとないでしょうか。前の教会はお城のすぐ近くでした。戦前は教会の前がお堀で、隅櫓が見えました。教会のある所は広大な家老の屋敷で、お池はある、築山はある、東屋はある、それに男子宣教師館と女子宣教師館がある、テニスコートもあるという所でと、そんなことを話したら切りがありません。

  石垣は大きな石だけで積んだんじゃ決して強固な石垣はできません。大きな石も小さな石もあって地震にもびくともしない石垣が造られる。大小取り混ぜてこそ強力になるのです。だから小ヤコブもタダイも記録に留められるような大きな功績はなかったでしょうが、小さいが故に大きな石たちをしっかり組み合わせる要(かなめ)になるような働きをしていたかも知れません。イエスはそういうことを知っていて、こういう弟子たちを集められたのです。

  トマスは懐疑家です。彼はディディモというニックネームをもらっています。「イエスの手に釘跡を見、その釘跡に自分の指を入れてみなければ復活のイエスなんて信じない」と言った青年です。しかしイエスと出会う前は他の弟子たち同様色んな個性を持っていますが、やがてイエスによって新しく造り変えられて、彼はインドまで伝道したといわれています。インドの南の地方、逆三角形のこちら側にマドラスという大きな街がありますが、その近くに聖トマス山というのがあります。彼はそこで殉教したといわれています。ユダヤからインドまで伝道したというのは大変なことです。今のインドは仏教は衰退してヒンズー教ですが、当時はまだ仏教が大盛況です。言葉も習慣も考えも違う所にキリスト教を広めるなんて驚くべきことです。そのせいかインド南部にキリスト教は今もかなり広まっています。
                (つづく)

       2008年6月15日
                                        板橋大山教会   上垣 勝
  ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、フランスの小村Chazelleの村を流れる川。魚がいっぱいでした。)