「最善はこの先にある」 (下)


                                              
                                         イザヤ書43章6-21節                        
  
  第3のタイプは、イザヤが今日のところで語ることです。18節で、「初めからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな」と語った後、「見よ、新しいことを私は行なう。今やそれは芽生えている。…私は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。…荒れ野に水を、砂漠に大河を流れさせ…」と書きます。

  「砂漠に大河を流れさせる」と、2度にわたって繰り返されているのは、必ずその事を行なうということです。しかし、砂漠に大河が流れるなんて不可能です。決してあり得ない。だが、その不可能を必ず為すというのです。

  主は過去において大きなみ業を行われましたが、今も私たちと共におられ、今、以前と同様の不思議なことを行なわれる。いや、それ以上の不可能とも思えることをなしてくださる。イザヤは過去に戻るのでなく、過去の中で最も大事な命を受けてそれを今と将来に生かすのです。それは昔と同じものでなく、全く新しいことである。神は今も見張っていて、今まさに新しい神のみ業が芽生えている。イザヤは神から言葉をいただいてこう預言したのです。

  今日の箇所は別の観点から選んだのですが、説教の準備をする中で、これは丁度今の私たちの教会に与えられた箇所だと思いました。というのは、7月に夏期集会が「創立50周年を迎えるにあたって」という題で開かれることになっています。その中で「教会の歴史を学ぶ」時間があります。発題者は今日依頼しようとしています。教会の歴史から何を、どう学ぶか。積極的に学んで、神は私たちの教会を今も見守ってくださっていて、「新しい芽生え」を大山教会に与えようとしていることを見出して行きたいと思います。

  このような過去の振り返り方をするとき、過去は現在を生き抜く力となり、未来に向かって飛躍していく跳躍台になります。

                                 (3)
  イザヤにとって、神は何よりも歴史の要所、要所で新しい事柄を生み出す、尽きることのない命の源なるお方です。神が行なおうとしておられる新しいこと、今それは「芽生えている」のです。命の芽生え ― 最善はこの先にありです。

  これはお年を召した方にも語られています。老いの日を過して、もう新しいことはないと思い込んでいらっしゃる方があるかも知れませんが。しかしその方にも、「最善はこの先にある」のです。ある人が80歳近くなって奥さんを亡くされたんだそうです。でも暫くしてお見合いをなさって、子どもたちの反対があったんですが1年も経たない内に再婚されたそうです。かなり若い人と。いいなあと思う男どもがあるかも知れませんね。でも数ヶ月で離婚したそうです。「最善はこの先にある」と言っているのであって、80歳近くなって「人生の春はこの先にある」ではないですよ。急(せ)いては事を仕損じます。これは20代、30代の人たちに言う言葉ですが。

  カトリックの神父さんでもう亡くなった方ですが、H.ホイヴェルスという方がいました。この方が、「神は、最後に一番よい仕事を残してくださる。それは祈りだ」と書いておられます。祈りが一番よい仕事なのは、愛することだからです。心を込め、無報酬で与えることだからです。祈りがジコチュウ(自己中心)で、自分のことだけだったら愛になりませんが、祈りは他の人のための祈りである時、それは純粋な愛です。報いを望まない愛です。祈りはまた、神のみを見上げることであり、神に誉れを帰すことですから、一番よい仕事です。

  21節に、「私は、この民を私のために造った。彼らは私の栄誉を語らなければならない」とありました。神の栄誉、誉れを語る。それが人間の最高の目標です。三浦雄一郎という人が世界最高峰のエベレストに75歳で登頂に成功したということですが、人の最高目標は神の栄誉を表わすことです。ですから老いを過ごす中で、この人の最高の目標をしっかり見つめなければなりません。この目標を見失わずに進まなければなりませんね。

  そして、若い人たちはまさに「最善はこの先に」あります。イエスは、「あなた方には世で苦難がある」と言われます。若い人たちは、社会に出て多くの苦難を経験します。涙が出そうになることもあります。若い牧師も色んな苦労をし、私も色んな苦労を経験してきました。経済的にも苦労があるかも知れません。職場の人間関係においても、家庭の中でも苦労はつきものです。また能力的な悩みを持つこともあり、無理なことを要求される場合もありますし、孤立する場合も、非難されることもあります。

  だがイエスは、「あなた方はこの世で苦難がある」と語って、私たちが嘗(な)めるそれらの苦難や苦労をよくお知り下さっているとおっしゃるのです。イエスの知らないところで私たちが独りいるのではありません。

  こう語った後イエスは、「しかし勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」と言われました。困難を恐れてはなりません。おびえてはなりません。一人ではないのです。神が必ず共にいて導いてくださることを信じて、少しでもチャレンジしていくのです。こころを柔らかくして、広くもして、人には寛大さをもって接していくのです。自分から和解を作り出していく。和解を作り出す人こそ強い人です。イエスは既に闇の力に勝利してくださっている。ですから、イエスの招きに従って勇気を出して進んでいくのです。「最善はこの先にある。」神は共にいてくださるから、委ね切って進むのです。

  最後に今日はまた宿題をお出しします。
  1)私たちは過去をノスタルジックに想い出すことがありますが、ノスタルジーに駆られるのはどんな時です      か。
  2)どうすれば過去を、現在と将来に希望と勇気を与えるものとして取上げることができるでしょうか。
  3)神はいつも新しいことを行ってくださるということが分かる時、人生や生活はどう変わるでしょうか。
            (完)

  08年6月1日
 
                                    板橋大山教会   上垣 勝
  
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  (今日の写真は、テゼの隣村、Chazelle 村の家。