「あなたに喜びが授けられる」 (下)


                        
                                         ヨハネ15:11-17
  
                                 (4)
  自分や、自分の周りの事柄に関するあらゆる形の悲観は、私たちの足をすくいます。だが、行き詰まりの状況の中にあっても、神は必ずこのことを通して行おうとしておられることがあると信じて、あえて喜ぶのです。(ブラザー・ロジェ)。イエスが置いてくださった喜びの源泉を、日ごとに新しく掘り起こして、そこに留まるのです。

  そして、色んな悲観的な思いがあっても、あえてそれを越えてキリストの喜びに与りながら、「私があなたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である」と勧められているように、自分を押し出し、愛の生活へと向かって行くのです。自分だけに目を留めるのでなく、隣人に目を向け、出し惜しみせずに愛を行なうのです。

  「愛されるよりも、愛することを。与えられるよりも、与えることを。慰められるよりも、慰めることを」と望んでいくのです。

  すると光が見えてきます。最初はかすかですが、進んでいくうちに確かになります。困難の中でも均衡を失わずに生きていけるでしょう。心の中に温かいものが生まれます。神が、キリストが身近になります。キリストは十字架につけられましたが、復活されたのですから、希望をもって歩むのです。コロサイ3章に「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」とあります。そのようにするとキリストの平和が生まれ、喜びも生まれます。

  ある本に、キリスト教の高校で聖書の教師をしている人が、がんの宣告を受けて化学療法を始めました。一年たってかなり弱って来られて、後どれ程生きられるか分かりません。小さい子どもたちの父親です。ところが、癌という病気を、自分の信仰の旅の一部と考えて、キリストによって希望と勇気を与えられているとありました。

  私たちの魂の根をキリストに深くおろし、キリストの愛に留まっていく。キリストの言葉が私たちの内にあるようにしていく。キリストの弟子として留まり続ける。そうすれば、試練の中でも「キリストの喜びが満たされる」ようになるでしょう。

  「キリストの言葉があなた方の内にある」とは、聖書の言葉に日々養われることでもあります。日毎に聖書を数章づつ読んで、み言葉によって励まされ続けることです。幸い、私たちの教会には、昨年5月に、聖書を100回にわたる通読を終えた方がおられます。100回はなかなか無理ですが、こういう先輩の、キリストに留まり続けたいという魂を引き継いで行く方が、今後もこの教会からぜひとも多く出てほしいと思います。

               (完)

       2008年5月25日

                                     板橋大山教会   上垣 勝


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  (今日の写真は、テゼ共同体のクリプトにあるステンドグラス。)