聖霊の三つの働き (下)


 
                                              使徒言行録1章1-11節
  
                                 (3)
  聖霊の第2の働きは、色んな形で言えるでしょう。例えば今日は、エフェソ3章16、17節を取り上げて見ます。そこには、「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなた方の内なる人を強めて、信仰によってあなた方の心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」とあります。ここで、キリストが私たちの心の内、内面に住んで下さること、またキリストの愛と神の愛に根ざしてしっかり生きる者としてくださるようにと、パウロは語っています。

  聖霊に導かれるとは、神の霊に導かれることですが、キリストから離れた、人の心霊現象へと導かれることではありません。聖霊は心霊現象ではありません。普通、世間で霊というと、超自然的な霊とか能力とか、霊感的なものと結びついて迷信や呪術にも近づいて行きがちです。聖書でも、諸々の霊力とか、諸霊、悪の霊という言葉が出てきます。

  だがそれらはキリストとは関係のない、人の深層心理を操る類のものですから、どう転んでいくか分かりません。心理現象を操って大金持ちになる人も出ています。いわゆる宗教家の中には人の心理を巧みに操って、宗教教団とは言うものの金を集める大集金組織を作ったりしています。

  霊に導かれるということは、そういう事とは全く違います。信仰とは、パウロにおいては、神、キリストとの交わりです。つながること、結びつくこと、根ざすこと、キリストに在ることです。キリストに在りますから、この霊は「愛と平和と慎みの霊」です。喜ばしき霊であり、平和の霊です。

  ペンテコステの出来事で重要なことの一つは、一人ひとりの上に降ったということだと申しました。聖霊に導かれるとは、キリストとの関係において人格的、倫理的な健全さを保って生きるようにしてくださることです。神と自分、キリストと自分を人格的に結びつけて、そこから動かない。その様にして導かれて生きる。そこに健全さが生まれるのです。

  聖書は、「キリストがあなた方の内に形づくられるように」と言います。キリストにしっかり結びついていく時、キリストの形が私たちのうちに形づくられるのです。「代価を払って買い取られた。神の栄光を表わしなさい」とも言います。私たちはキリストに属するものです。人格的に結びついています。したがって神の栄光を表わすのです。「キリストを着る」とも言っています。キリストが内に住んで下さるだけでなく、キリストを上に着て、キリストに覆われて生きるのです。更に、キリストは模範を残された。その模範に従いなさいと語っています。このようにキリストと関係していくなら、愛も、平和も、健全なものも生まれて来るでしょう。

  5月の連休に幕張メッセで9条の大会がありました。世界からも沢山の人が参加して、1万5千人どころか3万人ほどが集まって、会場の外に多くの人が溢れました。青森から参加した婦人は、日曜日の朝は私たちの教会に出て、それから大会に参加されました。

  皆さん、これは9条のボールペンです。表面にAction for Peace と書かれています。どうして9条のボールペンかというと、そら、ボールペンの横から憲法9条がこのように引き出せるようになっている。日本語と英語で書かれています。裏には聖書が書かれています。祈りも書かれています。これは、バプテスト連盟の人たちが作りました。今は、日本キリスト教団の中心にいる人たちは、残念ながら内向きで、守りの姿勢が強いですから、このようなものを作り出す力をもっていません。これはアイディアです。しかし単なるアイディアでなく、聖霊、健全なキリストの霊に導かれてのアイディアです。平和の神にしっかり結びついた所から生まれるスピリチュアルなわざです。このボールペンを外国に持って行って、日本の誇りである憲法9条のことを話すことができます。一般の日本人の心も動かす、訴える力を持っています。

  キリストの霊は健全な霊ですから、教会の中だけでなく、外の人にもこのような形で福音を届ける力があるものです。

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  聖霊の第3の働きは、時間がないので簡単になりますが、一番重要なことと言っていいですが、宣教の霊、伝道の力です。

  聖霊が降る前の弟子たちは実に小心でした。しかし、聖霊が一同の上に降った時、彼らは公然とエルサレム神殿の広場に姿を現して、勇敢にキリストを証し始めました。驚くべき変化です。

  聖霊は、大胆に復活のキリストを証しし、福音を勇敢に人々に語らせる霊です。

  4章には、ペトロとヨハネが、美しの門に置かれて乞食をしていた、生まれつき足のきかない男を立ち上がらせたことがきっかけで、逮捕され、ユダヤの最高議会で裁かれることになった話が出てきます。釈放されたものの二人は何度も厳しく脅され、「今後、キリストの名によって誰にも話すな」と命じられました。ところが2人を迎えた他の弟子たちは、一緒になって、「主よ、今こそ、彼らの脅しに目をとめ、思い切って大胆にみ言葉を語れるようにしてください」と、力を込めて祈りました。すると、彼らのいた場所が揺れ動き、「皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」のです。

  聖霊は、私たちに大胆さ勇敢さを与える神の力です。キリストのために一歩踏み出す力を与えます。自分は気が弱い、臆病であると思う人は、キリストが授けて下さる大胆の霊を求めて下さい。勇気をもって一歩踏み出す霊です。行動の霊です。自分を掛けて行く霊です。この霊は、人種の壁、民族の壁、国境や言語の壁も乗り越えていく力を与えます。それがあってキリストは地の果てまで、ローマ帝国の地の果てだけでなく、帝国の境を越えてイギリスまで、東はインドや中国まで伝えられ、やがて私たちのところまで伝えられました。

  中国の四川省で大地震があり、現在のところ7万人が死に、1千万人が被災したと言うことです。本当に気の毒です。助けが早く来ることを切に切に願います。また、その1週間ほど前にはミャンマービルマ)で巨大なサイクロンが荒れ狂い、甚大な被害が出ました。百万人が被災したと言われています。

  ミャンマーの軍事政権は死者3万8千人と木曜日に発表しましたが、昨日7万8千人にやっと訂正しました。だが国際赤十字は12万8千人と推計していますし、国連は20万人の死者を推計しています。緊急援助物資が外国から届けられました。しかし新しい栄養価の高い、新鮮な援助物資は軍の倉庫に入れられ、古い、腐った食料を軍の倉庫から放出して被災した人たちに与えています。被災していない人に、外国からの援助物資が配られてもいるそうです。こんなことが外国の新聞に報じられて、私はすぐカンパをしようと思っていたのですが、これを知ってミャンマーの軍事政権を助けることなんか決してすまいと思いました。

  それから暫くたって、テゼ共同体の通信をインターネットで読みました。そこには、猛烈なサイクロンによって壊滅的打撃をこうむったことを知るや、直ちに何日も何日もミャンマーキリスト者と連帯するために連絡を試みたこと。でも殆ど連絡が取れなくて諦めかけていた時に、やっと青年たちへの伝道をしている聖職者と連絡が取れ、これからどう援助していくかを見つけていくことになったとありました。また、フランスのテゼでミャンマーの人たちのために祈りが捧げられていることが書かれていました。

  私は軍事政権のことを知って厭になりましたが、聖霊に導かれる時には、自然災害も軍事政権も、ヨーロッパとアジアという厚い距離の壁も越えて行くのだと思いました。切り株のように残っているミャンマーの信仰者たちと連絡を取って、何とか支援の道を探る。聖霊の働きは、不可能の壁を溶かしたり、破ったり、時には爆破して行く霊です。力ずくでなく、何よりも愛の力で人の心の壁を溶かし、爆破する。この一番難しいことにも挑戦していく力を与えるのがキリストの霊なのです。

  キリストの霊の働きの豊かさ、大きさ、広さ、深さを狭めてはなりません。それを無力化してはなりません。それは教会の中だけで働くのではありません。信仰義認の世界だけではありません。キリストは単に教会の主だけではありません。キリストは世界の主なる神であられます。ですから人間のあらゆる領域にキリストのご支配が届いていきます。聖霊は、あらゆる壁を乗り越える力と大胆さを私たちに与えるのです。
        (完)
     
        2008年5月18日 
  
                                    板橋大山教会   上垣 勝
  
  ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、コルマタンの領主の庭にある農場サイロ。)