何を最優先しますか (下)  詩編24編1-10節


        
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  ですから7節以下は、私たち人間をエルサレムの城門に譬(たと)えて語ります。「城門よ、頭を上げよ。とこしえの戸よ、上がれ。」エルサレムの東の門は、朝日を浴びて金色に輝く大きな黄金門です。これがエルサレムの正門です。

  私たち人間をこの黄金門に譬えて語るのです。「栄光に輝く王が来られる。強く雄々しい主。雄々しく戦われる主。…万軍の主、主こそ栄光に輝く王。」複雑に絡み合った巨大な社会組織。それが地球規模に広がっている現代社会。その前で力なくうな垂れてしまう私たち。

  だが、「その頭を正式に上げなさい」と言われるのです。「栄光に輝く王が来られる。」あなたは頭を上げ、心を高く上げ、心の城門を開き、世界の主、万軍の王なる神を迎えなさいと言うのです。

  なぜならこのお方は、私たちを「主のもの」と呼んで、一人ひとりを愛してくださる王です。私たちがどんな状態にあっても価値なき者として扱われません。成功や名声を求め、人を蹴落とし、先を争って多くの人が生きている中で、王なる神は、私たちを「主のもの」としてしっかり受け止めてくださるのです。

  繰り返しますが、「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むもの」をすっかり商売の道具とし、金儲けのために用いようとする貪欲が世界に満ち溢れています。貪欲の神、マモンの神が祀(まつ)られています。巨大資本が人を操り、折りあらば世界を飲み尽くさんとしています。だが、それらはまことの主でも、栄光に輝く王でもありません。

  この詩編ダビデ王の作だと1節にあります。彼は王であるに拘らず、自分でなく、「万軍の主、主こそ栄光に輝く王」こそまことの王だと語るのです。

  私たちが身を起こして、自分の中にお迎えすべきはこの「万軍の主」です。このお方は旧約聖書で255回に亘って指し示されています。このお方は、宇宙と万物を造り、これを支配される神です。また、万物に命を与え、無から有を創り出し、私たちを在らしめる方です。ヤーウエ、在って在るものとして、何者によっても否定されず、誰が否定しても確かに存在される方です。この方が、体を滅ぼした後、魂をも地獄で滅ぼすことのお出来になる方です。

  このお方の他に恐れるべき者はありません。この方が、イエス・キリストとして来られ、十字架につき、私たちの罪をことごとく贖(あがな)い、復活された方です。そして終末に再び世を裁くために来られます。

  このお方の裁きこそ最後究極的な裁きです。だから私たちは、この方の前に正式に頭を上げ、このお方を信じ、身を起こしてほめ歌うのです。
    (完)

     2008年5月4日

                                    板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真は、コルマタンのシャトーの庭。)