静かな心に宿る力 (上)  イザヤ30章15-19節


                                 (1)
 イザヤ書30章には、第1イザヤと呼ばれる預言者が紀元前700年頃まで、数十年にわたって活動した預言が出てきます。当時、北にアッシリア帝国がおこり、小国ユダヤを虎視眈々とねらっていました。

 当時の国際社会は食うか喰われるかの全くの弱肉強食の時代です。大国は有無を言わせぬ力で小国を圧倒し、属国にして行きました。

 弱肉強食という意味では、今日の社会にもある程度共通するものです。特に国際競争ということでは、住宅の設計図の多くは、今は日本でなく何と中国で図面が書かれて、一級建築士でもおちおちしておれない時代ですし、自動車部品を製作する都会の零細企業と同じく、東北地方で農業をしていても、弱肉強食の国際競争の波が農業経営に押し寄せてくる時代です。

 そういうアッシリアの脅威が高まる時代に、預言者イザヤは、「あなたがたは、神に立ち返り、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と、語ったのです。

 イザヤによれば、神は、この危急の中で2つのことを要求されていると言います。1つは、危険から逃げないこと。もう一つは、自分の力に頼ってはならないと言うことです。ところがユダヤの人たちは、「それを望まなかった」と言い、16節にあるように、「そうしてはおられない、馬に乗って逃げよう。速い馬に乗って逃げよう」と言って逃げたのです。指導者たちは、われ先に逃げたのです。

                                 (2)
 イスラエルは、元々はエジプトで奴隷でした。400年余にわたってファラオに仕えさせられ、強制労働を強いられ、虐待されました。その労働は過酷を極めました。

 その中で、彼らは厳しい労働のゆえに神に向かって呻き、叫び求めたのです。そして、その叫び声が遂に神に届いたのです。紀元前1200年頃のことです。

 彼らは、手に何も持たず、武器も荷物も持たずに、エジプトから導き出されました。それが、この民族の原点です。彼らは地上でもっとも小さい民族、弱く、取るに足りない民でしたが、道なき所を、神が先頭に立って、昼は雲の柱をもって60万の民を守り、夜は火の柱をもって行く手を照らして導かれました。神が先頭に立ち、道を切り拓いて下さったから、出エジプトをすることが出来たのです。

 そのような信仰と生活の原点に立つなら、イスラエルはこの困難な国際関係の中でも、神に信頼し導いていただくということが大事だということになります。イザヤはそう語ったのです。

 導いていただくと言っても、無論退いたり避けたりする場合もありますが、この場合は、人為的に、あれこれと出来事を操らないこと、また危険に直面しても、それを引き受けることを意味しました。

 イスラエルの民はかつて、自由を求めてエジプトを脱出し、砂漠に出て行きました。だが危険に遭遇した時、エジプトに引き返そうとしました。そして不平を言って、「あそこでは肉鍋をいっぱい食べられた。パンも腹いっぱい食べることができた。エジプトには墓もあった。あすこで安らかに死ぬ方がましだった」と言って、エジプトの奴隷生活を慕ったのです。

 だが、神に導いていただくということは、エジプトに引き返すことではなく、紅海を渡って行くことです。後戻りしないことです。

                                 (3)
 私たちの心にも、エジプトに引き返したいと言う声がしばしば聞こえます。困難が大きくなりますと、その声は大きくなります。

 大阪の生野という所に、聖和社会館というキリスト教の施設があります。そこでオモニハッキョが開かれて30周年を迎えました。オモニハッキョとは、オモニ、韓国・朝鮮人のお母さん達のための日本語を教える識字学級のことです。

 そこに文岩優子さんという若い女性が、ボランティアとして先生をしていて、こういうことを書いておられました。

 オモニハッキョに関わる中で、ずっと心に引っかかって来たのは、この方も在日韓国人3世なのですが、自分のおばあちゃんと同じ1世であるオモニたちに日本語の読み書きを教えることは、何かとても奇妙な歪みであるように思え、違和感をもったのだそうです。

 オモニたちが週2回来て、一生懸命に学ぶ姿を見れば見るほど、違和感が膨らんで来てもう耐え切れなくなったんだそうです。その大きくなって、耐え切れない程になったものを、言葉で表わすと怖いので表わさないようにして来たのですが、遂に恐ろしい言葉となって現われました。それは、自分がしているのは「同化」ではないかということです。

 「同化」という言葉と共に、もう憤りが頭にぐるぐると湧いてきて、オモニハッキョを続けて行けない状態までなったそうです。

 それである人に話しました。すると、数日後その人が自宅に呼んでくれて、色々その人の経験を話してくれた後、やはりある時その人が一人のオモニに、自分たちのしていることは、これは「同化」とちゃいますか?と聞いたんです。するとそのオモニは、大笑いして、「なに言うてますの、先生。私ら、日本語覚えても朝鮮人ですわ」と言われたという事でした。

 優子さんは、「日本語覚えても、朝鮮人」と、オモニが言ったという言葉を聞いて、涙が出そうになったと言うのです。

 時代は60年前とは違います。今は、ここまでの主体性を持って生きればいい、と言うことでしょうか。ひ弱であっちゃあならないということでしょうか。そういう主体性を持ってしたたかに生きているオモニたちの姿に胸が熱くなったのでしょう。

 それだけでなく、文岩優子さんは、日本社会の中で韓国名でなくて日本名、通名で、自分を隠すようにして生きている私を許し、認めてくれるような言葉でもありましたと書いておられました。

 この方も、困難が大きくなる中で、もう逃げ出したいと思われたのでしょう。しかし、一人のオモニの声が、神様の声のように聞こえて、彼女を励ましたのです。

 障害者自立支援法というのが去年施行されましたが、障害者の自立を支援するどころか生活を破壊していると大問題になっている。保護されるのでなく、「保護から自立を」というスローガンは聞こえは良いです。しかし、要するに国は手を引くから、自分で何とかしろということです。小泉、阿部政権は、大きな苦しみを障害者達に与えてしまいました。

 この正月に、精神障害者福祉施設の責任を持っている妻の友人が、泊まりました。色々話をお聞きしました。今、こうした施設は大変な状況で、いつ潰れるか分かりません。しかし、彼女はカトリックの信者ですが、身を粉にして障害をもつ人たちのために、逃げずに働いておられます。疲れていますが、輝いておられました。 (つづく)

 2008年1月20日
                                   板橋大山教会  上垣 勝

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  (今日の写真は、朝もやがただようヴェズレーの田舎の風景。ホテルからの眺望。)