Aさんの葬りの説教 (下)


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 Aさんは1920年に生まれ、悪夢のような戦争の時代をつぶさに経験され、だが「運よく」満州でチブスになって一足先に帰国できました。戦後2年して新婚生活を始められた浅草時代のこと、ご長男、ご次男の誕生のこと、病気回復後の巣鴨の写真館時代のこと、登戸に家を持たれた頃のこと、近くの下町で小料理屋をなさっておられた時のことなど、Aさんたちの思い出は尽きることはないでしょう。

 グッと話は飛んで、この2週間ほどのことですが、12月25日に救急で病院に入院され、28日には重症の肺炎と診断され、やがて年を越えれるかどうか分からないと医者から宣告され、簡便な人工呼吸器をつけることを了承することになった年末までの日々は、奥さんにとっては血のにじむような日々でいらっしゃいました。

 日頃、何事にも動じない方が、この時ばかりはオロオロし、目も留められないほど生気をなくし、お姿は痛々しいばかりでした。その上、「何故このようなことになったのか」という問いが、奥様を重く圧して苦しめました。ご自分を責める思いも強くありました。それは別の見方からすると、Aさんたちの強い夫婦愛の現われでしょう。私は、夫婦愛の真実な姿をそこに見る思いでした。

 毎日、夕刻に牧師館に立ち寄って容態を話し、私の祈りがすむと家に帰られました。私も病室を見まいましたが、お会いしたら、Aさんは私に話そうとして咳き込んで呼吸困難になられるので、看護師さんに書いた祈りを届けて帰ってくる毎日でした。奥さんは、大晦日の夜に牧師館に立ち寄り、「やっと年を越すことができました」と嬉しそうにおっしゃいました。医者のこの前の言葉がありましたから、本当に嬉しそうでした。

 そして、息子さんたちがご夫婦で関わられるようになり、元気さを取り戻して行かれました。何とも頼り甲斐のある息子さん達、その支援の力強さを感じました。

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 最後に、「何故このようになったのか」という問いですが、それはどんなに追求しても知り尽くすことはできないでしょう。

 むしろ、「その故は神、知りたもう。」そう思い切って言ってしまう。それでいいのではないでしょうか。無論、それでも「何故」という気は起こります。でも、神秘をこじ開けず、神の手の中にある秘め置くべきことは、秘め置いて、全てを神にお任せしていいのではないでしょうか。

 「思い煩いは、何もかも神にお任せなさい。神が、あなたがたのことを心にかけてくださっているからです」と、聖書にあります。子どもは親のすることがよく分からないように、神のなさる全てのことを知り尽くせません。しかし、「心にかけてくださっている」のですから、愛の神は、愛する者たちに荒々しいことをなさる筈がありません。

 「神のなさることは、皆、その時にかなって美しい」ともあります。神さまはきっと、Aさんとご家族にとって一番美しいことをなさったのです。

 そう見れば、Aさんは丁度87歳で召されるのが神様の御心(みこころ)であったのであって、その御心にAさんは遅れずに、飛び込んで洗礼をお受けになって、ピッタリ間に合われたのではなかったでしょうか。

 「天国には遅刻しても入れてもらえる」と言いましたが、Aさんは、遅刻もせず、選りにもよって「神のなさることは、皆、その時にかなって美しい」という、その時に洗礼を本気で決意し、神の恵みを受けて美しい死に方をなさったのではないでしょうか。

 Aさんは派手でなく、地味に質素に生きられましたが、素晴らしい奥様を持ち、頼り甲斐のある息子さんたちとその奥様たちを持ち、堅実な歩みをされました。「今から後、主にあって死ぬ人は幸いである」とあります。Aさんは、幸いな死に方をなさったのではないでしょうか。  (完)

  08年1月8日(火)
                             板橋大山教会  上垣 勝      

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  (今日の写真は、フランス中央部の巡礼地、ヴェズレーの聖マドレーヌ教会の有名な内陣タンパン。キリストの弟子派遣のレリーフ。)