Aさんの葬りの説教 (上)



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 椎名麟三って知っていますか。あの有名な椎名麟三さんが世田谷3丁目の小さい貧しい家に住んでいたころ、Aさんたちはそのハス向かいに住んでおられたそうです。椎名さんは小説を書いていましたが、戦前には投獄されたりして奥さんが屋台を引っ張って生計を立てて暮らしていたそうです。

 椎名さんは優しく、Aさんたちのまだ小さいご長男をお風呂に入れてくれることもあったそうで、玄関からでなく勝手口から入って来る、親しい近所づきあいだったそうです。

 やがて、1950年に椎名さんはキリスト教に入信し、「邂逅」とか「自由の彼方で」とか「美しいひと」など、信仰から来る人間の自由とかユーモアとかを書いていかれる時期です。

 その後、1952年(昭和27年)にAさんが結核になり、何回かに渉って肋骨を9本を切除して2年ほど闘病されました。ご長男も小児結核で肋膜炎になって入院され、生後間もないご次男も新生児結核になって、一家4人中3人が倒れ、奥さんただ一人がやっと健康を維持しておられたそうです。

 試練。そして絶望のどん底にあられたことでしょうが、持ち前の気丈さで気を取り直し、写真館の写場もある立派な家を売って高額の治療費に当て、やがて3人とも死線を越えて無事生還することができたそうです。今思えば、恐らく人生の厳粛な綱渡りのような一時期でいらっしゃったことでしょう。

 丁度、一ヶ月前の今日ですが、12月8日の土曜日、奥さんがご長男と電話で話しておられたそうです。奥さんの妹の旦那さんが先日まで元気であったのに、旅先で急死されたので相談しておられたのでしたか…。奥さんのお話では、ご本人の前で申し上げるのはどうかと思いますが、ご長男はおっとりとして気立てがよく、馬が合って何でも心置きなく話すのだそうです。ご次男共々、何ともうらやましいご家族です

 奥さんは82歳ですが、毎週土曜日に教会の人たち3人で、松沢教会で開かれる佐竹明というヨハネ黙示録の第一人者の10回の連続講義を聞きに行っていて、奥さんはその日もそこから帰宅し、ご長男とその講義の内容のことや、死のこと、死後のこと、そして昨日旅先で急死された妹さんの夫の死のことなどに、色々と話し込んでおられたと、お聞きしました。神の国に入ってもその中にも異端者がいるとか、イエスの復活やその意味のこと、また私たちの復活のこと、仏教の地獄極楽とはどういうことかとか、やっぱり狭い門から入らなければならないとか、洗礼を受けたからもう万々歳だとか言うのでないとか、私がその前の週に、この所(大山教会)で、「天国は遅刻しても入れてもらえる」と言ったこととか、そんな色んな話だったと、私はお聞きしました。

 するといつの間に近くに来ておられたのか、ご主人のAさんは静かな方ですが、晩酌をしながら二人の話にじっと耳を傾けておられたらしく、急に、「ボクも洗礼を受ける」と言い出されたというのです。奥さんは興奮のあまり顔を紅潮させてその言葉を聞いたそうです。というのは、その日の朝、黙示録の連続講義に出かける前に、「90歳になったら、洗礼を受けようと思う」と言うのを聞いていたところであったからです。

 急いで牧師館に電話をかけて来られ、今からちょっとうかがいますと短く言って電話を切り、暫らくして牧師館にやって来られました。奥さんは慌てる人ではありませんが、この時ばかりは興奮して慌てておられました。牧師館に上がるや、「今からでも、明日の洗礼試問会に間に合いますか。天国は遅刻しても入れてもらえるっていうことですが。」冗談も交えながら、こう切り出されました。

 Aさんは、これまで洗礼を受ける機会はありました。しかし遠くから訪問してくれた牧師は誠実ないい人でしたが、その牧師の「5つのパンと2匹の魚」の奇跡の説明に躓いて、洗礼から遠ざかってしまわれたようでした。その後、色々な機会に色々な牧師の祈りや訪問がありましたが、聖書の学びや洗礼への決断は遂にできませんでした。

 そういう過去がありますから、洗礼試問会にご主人は行くだろうか、気が変わらないだろうかと、奥さんは気を揉(も)まれたようですが……。奥さんのそんな心配をよそに、翌日、ご主人は2本の酸素ボンベを手押し車で引っ張り、「洗礼志願書」をもって教会にやって来られました。本気でいらっしゃいました。もう何年も前から酸素吸入の生活をしておられるので、どこに行ってもボンベを離せないのです。

 そして役員会で無事に洗礼が認められ、大きな拍手が起りました。その時、「有難うございました」と、頭を下げられました。

 ちなみに、奥さんの次の妹さんが京都で学生であった時、最初にクリスチャンになりました。戦後間もなくのことです。それからご両親が信仰に入り、やがて奥さんが信仰に入られました。それから何十年も経って今、87歳のAさんが、教会の20代、30代の3人の若い女性たちに混じって4人が12月16日に洗礼を受けることになったのです。何と長い、しびれの切れそうな妹さんの祈りだったでしょうか。でもその祈りは確実に実をつけたのでした。Cさんという名でしたか、妹さんは早く召されたのですが。

 妹さんは、時々、姉さんである奥さんのご主人の見舞いに来ては、奥さんとキリスト教の話をして帰ることがあったそうです。むろん奥さんご夫婦が信仰に導かれるようにとの思いであられたでしょう。その祈りが半世紀以上たって、55年目に成就したのです。

 私は、昨夜というか、明け方近くまで今日の準備をしながら、ふと一つの讃美歌が胸に浮かびました。

     1)むくいをのぞまで ひとにあたえよ、
       こは主のかしこき みむねならずや。
       水の上に落ちて、流れし種も、
       いずこの岸にか 生いたつものを。

        2)浅きこころもて ことをはからず、
          みむねのまにまに ひたすらはげめ。
          かぜに折られしと 見えし若木の、
          思わぬ木陰に 人もや宿さん。

 天国におられる妹さんのことを思って、この讃美歌が浮かんだのです。  (つづく)

 08年1月8日(火)の葬儀において
                             板橋大山教会  上垣 勝      

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  (今日の写真は、彼女の誕生パーティ。彼女ってどちら?美味しい手作り料理がいっぱい。一人一本ワインをぶら下げて来ます。女の子も。)