イエスの心を占めていた平和 マルコによる福音書4章35-41節


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 イエスは、ガリラヤ湖の畔で舟の中から群衆に神の国について話しておられましたが、夕方になって弟子たちに、「向こう岸に渡ろう」と呼びかけられました。弟子たちはすぐにそれに応じて、「イエスを舟にお乗せしたまま向こう岸にこぎ出した」のです。

 イエスと弟子たちは、何と自由で大らかなのでしょう。時間と経済効率に拘束され人々の思惑を気にして生きている私たちは、何者にも囚われないその姿に驚きと羨望を抱きます。

 だが、一行が船出したのは夕方でした。ガリラヤ湖の対岸までほぼ12kmです。夜間、舟に乗るのは危険です。しかし彼らは敢えて出発したのです。

 やや慌しさも感じられるこの出発に、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの支持者たちがイエスを片付けようと迫っていたのでないかいう説を立てる人もあります。確かに、既に3章6節で、ファリサイ派の者たちはヘロデ派の者たちと結束して「イエスをどのように殺そうかと相談していた」とありますから、あるいはそうかも知れません。

 イエスの十字架の時はまだ来ていませんから、そのもっとも重要な時に備えて、イエスはひとまず国外に脱出されたという訳です。対岸はゲラサです。ヘロデの支配は及びません。ただ、そういう重要なことなら、少しでもヘロデからの逃亡をうかがわせる言及があってもよい筈です。

 私は、ヘロデの手からの逃亡でなく、次の5章の冒頭にある、ゲラサの狂人を救うために夜間危険を冒して湖を渡られたのでないかと考えます。この狂人は、誰も取り押さえることができず、鎖を引きちぎっては墓地や山に逃げて、石で身体を打ちつけ傷つけるという自傷行為を行なっていた人物です。誰も救いえない孤独な人物です。イエスは方々から集まってきた群衆からこのことを聞き、一匹の迷い出た羊を救うために、夜間こっそりと彼に近づこうとされたのでないでしょうか。

 大胆にも、ハンセン病の男に手を触れ、抱きかかえて癒すほどの熱い愛を持った方です。弟子たちと共に危険も顧みず船出したのでしょう。実際、この男を癒すや直ちにガリラヤに戻られたのです。

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 さて、船出したものの途中激しい突風が起ったのです。日本では、琵琶湖でこのような山からの吹き降ろしの突風で船の転覆事故が起こったことがあります。ましてや弟子たちの舟は小舟です。激しい突風にひとたまりもなくみるみる内に浸水し沈没しそうになったのです。

 突如起った大自然の猛威に、熟練の漁師たちが何人もいるのに全くなすべきすべがなかったのです。自然は人を癒す力を持っています。安らぎを与え、気分を爽快にし、英気を与えます。私も自然が好きです。

 だが、自然は別の顔も持っています。時に牙をむき出し、人に襲いかかります。

 新潟の地震がそうでした。被災者が支えられることを願わずにおれません。ただ日本の新聞と違って外国の新聞の第一報の見出しは、地震の死者以上に原発のことでした。向こうでは、震源地が原発の至近距離であることに焦点を当てて報じました。日本の新聞の原発への関心は後になってからです。

 私が外国の新聞で先ず知ったのは、柏崎・刈羽原発の規模は、日本一でなく世界で最大であるということでした。私は手持ちの原子力市民年鑑で直ちに事実を確かめました。それは世界から見ても、一基あたりが非常に巨大で、それが7基並び、合わせると柏崎は世界最大の原発でした。

 活断層が走っていると言う声を退け、柏崎にはないと断定して政府は建設許可を下していました。地震がもう少し巨大なら、大惨事になっていたでしょう。

 原発を見学すれば誰もが分かりますが、原子炉本体もその建屋もじつに巨大です。まだ誰も指摘していませんが、あの地震で原子炉本体も相当に揺れた筈です。揺れによって隙間ができたり、弛んだり、歪みが出たり、相当精巧にできていますから、その分少しのズレがあると燃料棒の取替えや、制御棒の操作がぎこちなくなります。そういう変化が本体に起った可能性は大です。外国の新聞は、第一報で既に柏崎は再開できないだろうと予見していました。日本の新聞はそこまで突っ込んで書いていところに、不誠実さを感じます。

 肝心な時に、原子炉のコントロールができず、炉の暴走が起り、臨界事故、そして誰もがもっとも恐れる炉心のメルト・ダウンが起ることが予想されるのです。原子炉内部がどう変形し、どこが弱くなっているか、点検では誰も分かりません。

 だからこそIAEA国際原子力機関)が即刻、査察を申し入れました。政府は直ちに断りました。しかし国際世論と今回の選挙があるので、後で受け入れたのです。

 私たちは大自然の威力を侮ってはなりません。ガリラヤ湖は、熟練の漁師たちが震え上がるほどの、これまで経験したことがない程の形相を呈しました。それで、「先生、私たちが溺れてもかまわないのですか」と怒鳴ったのです。彼らの恐怖、慄き、安易に船出したことへの後悔、イエスの船出の誘いへの怒りなどが入り混じって、イエスを叱りつけるような言い方をしています。

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 ところが、イエスはと見ると、艫(とも)の方で枕をして眠っておられたと言うのです。嵐にも、周りの騒ぎにも、何ら影響を受けないかのように船尾で安らかに熟睡しておられました。風を鎮めた後、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と弟子たちに言われたわけで、イエスの心には驚くべき神への信頼が占めていたことが分かります。

 イエスは、弟子たちに起された後、風を叱り海に向かって「黙れ、静まれ」と言われました。すると、直ちに風は勢力を弱め、すっかり凪になり、海面は穏やかになったというのです。

 「黙れ、静まれ」。どこかで聞くような言葉ですね。「静まれ。静まれ。この紋所……。」あれはここから取ったのではないでしょうか?

 簡潔なこの言葉に、自然界をも支配している方の主権がにじみ出ています。

 更に、イエスが嵐の中に船尾で安眠しておられた姿から、詩編131篇の「私は、魂を沈黙させます。私の魂を幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします」という言葉を思い出します。吹き荒れる大自然の猛威の中で、イエスは幼子のように神のみ腕に絶対依存の信頼をもって委ねておられたのでしょう。

 イエスから数世紀後の人で、ニネベのイサクというキリスト者がいますが、こう述べています。神の前に「沈黙し、心を鎮めなさい。そうすれば天と地の平和があなたの心に満ちあふれるでしょう。」

 イエスの心を占めていたのは、天と地に充ちるこの神の平和です。私たちは、こういう平和が心にあるでしょうか。天と地の平和が心の内にあるとき、人生は美しくなります。内なる平和は命の中心です。この平和は苦難を担う力を与えます。小さな雑事をも祈りと愛を込めて為させます。

 十字架につけられる前夜、弟子たちに「私は平和をあなた方に残し、私の平和を与える」と言われたのは、この平和です。また、復活のイエスが、ユダヤ人たちを恐れて戸を固く閉ざしている弟子たちの所に入って来られて、「あなた方に平和があるように」と2度にわたって語られたのも、この平和です。

 ただこの平和は、十字架の苦難をくぐって来た平和であり一段と深い意味を持っています。

 イザヤ書に、「彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって私たちは癒された」とあります。イエスが容赦なき懲らしめを受けて与えて下さったのが、この平和です。イエスが授けてくださる平和は、十字架の愛の痛みを背後に伴った平和です。

 私たち人間は、心のもっとも奥深い所で復活のイエスと出会うとき、天と地にみなぎる平和、十字架の愛と痛みを伴った非常に深いこの平和に与るのです。この平和は、何ものからも奪われない平和であり、そのゆえに更に、隣人の苦難にも与かり、喜びをもってイエスの苦しみに与っていく平和です。

エスの平和は試練のただ中に現存するのですから。

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 最後に、弟子たちがイエスを揺り起こして、「先生。私たちが溺れてもかまわないのですか」と、まるで叱りつけるかのように迫ったと先に申しました。

 これは火のような試練の時になされる一種の祈りです。火を吐くような祈りです。私たちはしばしば余裕がなくなります。その時、イエスを揺り起こすような、激しく迫る祈りを皆さんはしておられるでしょうか。火を吐くような祈り。詩篇の多くの箇所にそういう祈りが出てきます。ゲッセマネの祈りがそういう祈りでした。

 言葉をもって祈る普通の祈り。また、静かな祈りや沈黙の祈り。キリストの前に長く静まる祈りなどは夏期集会で学びました。しかし場合によったら、火を吐くように激しくイエスに迫る祈りもあります。「私の名によって祈れ」という約束を与えてくださったから、私たちはそういう祈りをも祈るのです。それ以外ではありません。心に平和をもち、単純素朴な思いから出た率直な祈りをして行きましょう。

            2007年7月29日
                       板橋大山教会 上垣 勝

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  (今日の写真は、品格あるカンタベリー大聖堂はイギリス東部の田舎町にあります。)