君の人生に美しいことが起きる 使徒言行録3章1-10節


 (写真は、グーテンベルグが初めて刷った印刷物。聖書がドイツの民衆の言葉で民衆に届けられた。右側に、これまでの学者に阻まれながら民衆たちが聖書を読もうと熱心に押し寄せている。世界遺産の町ストラスブールの広場で。)

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 今日の聖書を読んで先ず私が驚くのは、ペテロたちはこの生まれつき足のきかない男を見て、逃げたり避けたりしなかったことです。

 男は、毎日、エルサレムの「美しの門」の所に運んで来てもらって、神殿に参詣に来る人たちにお情けを乞って生きていました。ペトロとヨハネが境内に入ろうとすると彼は施しを乞いました。しかし彼らは少しもたじろがなかったのです。

 私ならこういう場面に出会うと避けたくなります。1、2度ならまだいいでしょうが何度ともなると避けてしまいます。良心が痛むからでしょうか。たとえバラ銭をあげるにしても、ポケットの中には小銭のそばにお札もあります。それが手に触れてもいるのですが、お札でなくコインをあげます。すると自分のケチな心をチラッと覗くことになります。誰しも自分のケチな心を見るにはいやでしょう。だから男に気づいていないかのように道の向こう側を行くわけです。連れの人があるとこんな時、便利ですね。これ幸いと連れの人とおしゃべりを始めて、おしゃべりで男に気づかなかったかのように装うようなこともします。

 しかし、ペトロは逃げなかったのです。逃げないだけでなく、生まれつきの重い障碍のためにもう人生に諦め切っている男を見て、深く心を動かされました。

 彼は施しに頼って犬のようにその日暮しをしてしています。まだ若い時代には彼にも志や夢があったかも知れません。しかし、もはや人生に何の夢もなく、何も期待することが無くなっている訳です。ペトロたちは、男がたどって来た歩みを想像して心から不憫に思ったに違いありません。もしこの男の親が、わが子の乞食姿を見れば涙を流したでしょうが、ペトロたちはイエス・キリストがこの男をご覧になればどれほど深く憐れまれたかを考えたでしょう。飼う者のない羊のように困り果てている民を見て「深く憐れまれた」こと、内臓が捻じれて千切れるほどの痛みを持って深く憐れまれたのを思い出したに違いありません。

 当時のユダヤ人たちの眼には、このような男は神から見放され、その人生は失敗するように運命づけられた者、脱落者と写っていました。しかしペトロたちはそういう冷たい目で見ることはできませんでした。

 また、ペトロたちは彼がこうなった原因を探しもしません。以前の彼らはそうではありませんが、今の彼らは、男自身の罪とかその両親や先祖の罪とか穢れとかよく日本の宗教がするようなことを一切していません。それを分析しても解決につながらないだけでなく一層苦しめるだけです。いや、彼らは男の上にもっと別の光が届けられているのを見たからです。

 さて、ペトロは、何かもらえると思って見つめている男を「じっと見て、『私たちを見なさい』」と言ったとあります。私たちがじっと見るのは、その人を一人の人格としてまじめに出会うときです。彼は、男を深く憐れみつつ、この男と人間として出会おうとしたのでしょう。それで、道端の乞食に一人の人間として、「私たちを見なさい」と話しかけたのです。聖霊降臨後、これほどまでに人間としてまたキリスト者として成長した弟子たちの姿に私は驚きます。

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 「私たちを見なさい」とはどういうことでしょう。ペトロたちのたどって来た人生でしょうか。ガリラヤの漁師であったとき「私について来なさい」と呼ばれて以来、キリストによって変えられて来たその歩みでしょうか。特にイエスを知らないと言って3度も裏切ったのに、イエスの方は自分を捨てられなかったこれ迄のことでしょうか。

 彼は、「私たちを見なさい」と語り、「私には金銀はない」と言ったのです。金銀によって自分たちは歩いているのではない。それが自分たちの拠り所ではない。世の人たちは金、金、金と思っているが、金銀はなくても何者をも恐れず力強く生きることができている。こういう私たちを見なさいと言ったのです。

 そしてそれに続いて、「私の持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と語ったのです。金銀でなく本質的なものを与えようとした。自分も受けたものです。ペテロは自分自身も受け発見したものを証しし、それを彼と分かち合おうとしたのです。金銀はありませんが、彼自身が与えられ持っているものがあります。復活のキリストを信じる信仰は、いかなる人生の悲しみや不幸、罪や挫折をも超えて人を新しくし、強くして来たことを証しました。彼自身が罪と挫折の中から「ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり歩く」ことができたからこそ、この男に確信を持って語ることができたのです。

 ペトロはこう語りながら、イエスとの出会いによって創り変えられた自分のことだけでなく、イエスご自身がどんな情況の中でも人を救うために神に留まり、神を信じていくという信仰の危険を、十字架に至るまで先ず冒されて、自分たちに信仰の道をお示し下さったことも思い出していたでしょう。信仰のパイオニアとして先ずイエスが歩かれ、それに弟子たちが続きました。それで次の者たちも続いたのです。イエスの十字架にいたる信仰の冒険がなければ、世に何事も始まらなかったでしょう。

 「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」ペトロは自らの経験から、キリストの名によって歩くと言うことが、全ての人間に残された唯一の望みだと言うことを知っているからこう語るのです。ペトロはこの世的に頼りに出来るものを少しも持っていません。だが冒険の人生を歩みだすのに必要な全ての力を持っています。そしてその力は万人に有効です。それは死人の中からキリストを甦らせた神の力だからです。

 そのように考えるからこそ、ペトロは運命の前に座り込み、諦め、ハンディキャップを売り物にさえして生きているこの男も、必ず立ち上がることが出来ると考えるのです。また、何とかして是非とも立ち上がってもらいたいと考えるのです。

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 「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」とは、男には信仰の冒険をしなさいと言う意味を持っています。自分の生き方に安住し切って座り込んで生きていないで、また自分の弱さを売り物にしたり、人の好意に甘んじていないで、リスクを冒し、冒険の歩みを始めなさいということです。未解決のことがあるのに安住していてはならない。一回限りの人生を、失敗を恐れず自分らしく力いっぱい生きるのです。キリストの光が彼の上にもあたっているゆえにこう語るのです。

 未解決なことと言いましたが、その1つは私たちに赦せない人がいることではないでしょうか。ずっと恨んだり、裁いたり、まだ赦していない人がいることです。
 あるとき、車中横に座った人と話すことになりました。兄弟姉妹が自分の不幸をきっかけに寄り付かなくなったのだそうです。「その兄弟姉妹はみな子どもがいない」というので、私は、「そりゃ苦労が少なくいいですね。若々しいでしょう」と言ったら、「いや、子はカスガイというでしょう。夫婦同士もう口を利かなくなっています」とボロクソです。そして、「姉などは更年期障害で、荒れ狂っています」なんてひどい事を言っていました。
 そんな方はここにはおられないでしょうが、ともかく赦せない人がいると言うことはとても苦しい事です。そしてこの未解決のことを多くの人は持っています。

 その赦せない人に対しても赦す気持で接する。赦すことの冒険をする。すっかり赦していく。それをするのかしないかは、心の生活が先に進むのか止まってしまうのかの大事な分かれ目になります。リスクを冒すかどうかです。

 テゼのブラザー・ロジェさんは、「あなたが赦すのは、他を変えるためにではありません。ただ単純素朴にキリストに従うためです」と言っています。

 腹が立つ。相手を変えたい。変ってもらいたい。それで相手を変えようとして赦す。それは真の赦しではない。赦しを手段にしても何にもならないのです。策略や小細工の赦しは本当の解決にはならないのです。

 ロジェさんはこんな事も言っています。人が私たちを曲解する時どうするのか。赦すのです。不当に判断される時どうするのか。赦すのです。キリストへの賛美を歌いつつ、赦すのです。その時、私たちが自由であること、神が自由にして下さったことに気づきます。赦しを願いまた和解を願って行って、荒々しく拒絶された時、それでも赦すなら、キリストが私たちを自由にしてくださった喜びに与るのです。

 キリストの光が私たちにあたっています。だから恐れる必要はないのです。キリストによる冒険。キリストへの冒険。キリストへの信頼はリスクを冒します。そしてその先に自由と喜びがあるのです。

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 初代教会は、金銀があって伝道したのではありません。活けるキリストに出会ったから伝道できたのです。まさに冒険でした。そして彼らはローマ帝国全域にわたって伝道し、ローマ帝国から更にそれを超えて帝国の外に向かって伝道し、今のイラク、イラン、そしてインドまで伝道しました。また他の者はヨーロッパの西の端スペイン、ポルトガルまで伝道し、後には海を渡ってイギリスまで伝道しました。
何故そういうことができたのか。それは、ペトロがこの足のきかない男にしたように全ての人間に国境も人種も言語も越えて、全ての人の上に神の栄光が現れるようになるためでした。全ての民族、国民に彼ら独自の神の栄光を現わす道があることを知っていたからです。

 年配の方もおられますが、何才になっても、自分に安住するのでなく冒険をして行きましょう。無理をする必要はありませんが、自分なりのわずかな冒険です。日野原重明さんは96歳です。それでまだ「老いを創める」、老いの時期にあっても創り出す生活を主唱しておられます。老いを迎えている方も、クリエイティブに生きて行きましょう。そのために人を愛し赦せるように祈っていきましょう。
                      2007年7月22日
                                 板橋大山教会 上垣 勝

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