神の現実と私たち(2)  ガラテヤ3:26-29


(前回から続きます)

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 私は今、キリストにある者は誰でも皆、一つの大家族の一員であると申しました。

 しかし、これを神とキリストから見るならば、キリストの愛は全ての人に既に届けられていますから、その人が知ろうと知るまいと、キリストから見るならば神の息子であり、娘であり、同じ家族の一員です。宗教の枠も、民族の枠も、富める者も貧しい者も超えて、皆この大家族の一員であると言えるでしょう。

 このことを別の面から考えて見ます。

 テゼのブラザー・ロジェさんは、「全ての人の中に、どんな人間的な親密さでも満たせない、孤独な部分がありはしないでしょうか」と語っています。この孤独な部分は、何人も満たすことはできません。何によっても満たせません。自分の力でも、他人の力でも、満たせたと思えてもまた渇きます。この個人性の強い場所で、人間は心理的トラブルが起ったりします。

 今、雅子妃は皇室への不適合障害で鬱(うつ)になっているそうです。もうかれこれ3年とかそれ以上とかの話です。薬物治療を受け、カウンセリングも受けているそうです。外国の新聞では、離婚や自殺の可能性すらあるということに触れていたことがありました。気の毒だと思います。出来れば助けて差し上げたいなあと思います。たとえ大山教会の牧師が援助することができる人であっても、難関はここまで相談にこれるかどうかでしょう。電話下されば私が伺いますが。

 ベン・ヒルというオーストラリアの人が、雅子さんについての本を書きました。取りまきの監視の目が鋭く、私生活というのが少ないのは真に気の毒です。ところで、その本が翻訳されて出版されようとしていました。だが外務大臣が、「これは日本人と皇室に対して不敬である」と言ったのです。するとたちまち出版社が出版を中止しました。私たちはこういう所まで来ている日本に住んでいます。

 そのことは置くとして、私たちは誰しもこういう心のトラブルが起りますが、その人格の深部には誰も立ち入ることができません。実に孤独です。三笠宮さんもアル中なんだそうですね。ここ何年かでなったアルコール依存症でなく、墓場までもって行かねばならない重度だそうですね。本当に皇室方も気の毒です。

 政府は、何とかしたいでしょうね。でも国権をもってしても、皇室の権威を持ってしてもどうすることもできません。心の深部にそういう孤独な部分があります。

 しかし、聖書が私たちに告げることは、あなたは決して一人ではないということです。心のもっとも深い所、誰とも似ていないあなたの一番深い所で、キリストが来て待っておられる。あなたがキリストと出会うことを待っておられる。よいところのあなただけでなく、内面の矛盾や過ちや人に言えない恥ずかしいものも持っているあなたを受け入れ、あなたを愛し、あなたを赦し、あなたが不安や恐れからまったく解放されて魂に平和が与えられるように、神による自由が授けられるようにと、待って下さっているのです。

 神の目からすれば、一人ひとりは皆、神の家族の一員であるとはそういう意味です。どうして神の目から、滅びてもいい人間がいるでしょうか。そんな人はひとりもいません。

 私は、地上の全ての人は、神の目、キリストの目からすれば既に神の家族の不可欠な一員であるということは、21世紀の時代にとても重要な見方だと思います。「神われらと共にいます」とは、キリスト者とだけいますということではありません。全ての人とです。また、日本人だけでなく、世界の全ての人たちとです。

 
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 自由競争の時代です。しかし行過ぎてはいないでしょうか。自由競争の本場のアメリカでは、自由競争が言われる反面、教会を中心とした市民のボランティア活動が活発で、市民意識が日本より格段に発達しています。また、振り子が揺れすぎるとその反発が出てゆれ戻っていきます。ブッシュ政権に対する批判もその健全な現われです。

 しかし日本は集団主義ですから、多数がそっちに行くと雪崩を打ってそっちに行きます。そのようにして自由競争とか競争原理のみが輸入されて、そちらに雪崩を打って走っているから社会はおかしくなっているのです。

 最初は50代の鬱が目立ちました。それが、年齢が40代に下がり、今は30代の人が増加していると言われています。元気な30代の鬱が増加しているなんて、政治と社会の責任以外の何ものでもありません。日本を悪くしているのは、自虐精神ではありません。むしろ自己批判の精神は、健全な精神の表れです。これが自浄作用を果たすのです。「あなた方の中に塩を持て、そして互いに和らげ」とイエスは言われました。この塩が社会の腐敗を防ぐのです。日本を悪くし、問題を次々生むようにしているのは、このあくなき自由競争であり、経済第一主義、一辺倒のあり方です。元公安庁長官をも犯罪へと走らせるのは、このような思想です。

 パウロは、ガラテヤ書5章で、自由を語ります。しかしパウロの語る自由、キリストが下さる自由は、自由競争の自由や弱肉強食の自由社会ではありません。彼は、「兄弟たち、あなたがたは自由を得るために召しだされたのです。ただ、この自由を肉に罪を犯させる機会とせず、愛によって互いに仕えなさい」と勧めます。また、「互いに重荷を担いなさい」とも言います。

 富める者がただ一人勝ちをするのでなく、貧しい者が希望を与えられ、共に生きる社会はどうすればやってくるのでしょう。愛によって互いに仕え合う社会は、どうすれば来るのでしょうか。(完)

                             2007年7月8日
                                       上垣 勝

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 (写真は、ハイデルベルグの“聖霊教会”のステンドグラス。広島原爆がステンドグラスになり、平和を願うこの教会の信仰が表わされています。「教会の主は、世界の主である」という信仰の明確な表現です。)