「祈りの真髄」   ルカ福音書11:1-4


                   (1)
 先週は、夏期集会で祈りについて学びました。私は、祈りについてお話をする中で、神さまの「先行する恵み」ということを改めて考えさせられました。私たちの心の内には、神への不信や疑い、また神が感じられないことも多くありますが、しかし復活の主が私たちの魂のそばにいつもいてくださることを、改めて深く知ることができました。
 私はまた、キリストの内に自分を休ませる祈り、安全な母の胸に安心して委ねている赤ちゃんのように、キリストに委ねて安心しきって沈黙して憩う祈りというのがあるということを学びました。そこに祈りの最も深い一つの形があることも知りました。
 これは、普通私たちがして来た祈りと少し違います。しかし、祈りというのは神との交わりであると、祈りを大きく捉えると、これらはまったく同じです。
 私は、祈りについて学びながら、キリストの愛、神さまの愛を学んだと思います。

 さて、今日も祈りがテーマです。

 ルカ11章1節に、「イエスは、ある所で祈っておられた」とあります。イエスが祈りをお教えになるのは、ご自分が父なる神の前に出て祈り、神との深い交わりに生きておられたからです。父との交わりがいかに隠れた大きな力になるかを知っておられたからです。
 イエスは、ご自分が実際に生きておられることを弟子たちや私たちにお教えになるのであって、その実践において、もっとも大切であると考え、この世に生きる人間にもっとも重要だと考えるところをお示しになるのです。

 そういう中で、イエスが祈り終えると、ひとりの弟子がやって来て、「祈ることを教えてください」と願ったとあります。するとイエスは、「主の祈り」をお教えになったのです。
 ですから、イエスが実践から学んだ祈りのエッセンスを、しかも世界に生きる人間に最も重要と考えられたエッセンスをここにお教えになったと考えていいでしょう。「主の祈り」によって、祈りの本質、その真髄をお教えになったのです。

 その祈りの冒頭で、イエスは、
「父よ、御名が崇められますように。御国がきますように」
と祈ることをお教えになりました。

 どうしてこれが祈りの真髄なのでしょう。
 それは、祈りの真髄は父なる神との交わり、父なる神との対話であるからです。

 人生で初めて、あこがれの女性/男性が自分に心を向けてくれた時の喜びは、言葉で言い尽くせないものがあるでしょう。(私などは、そんな経験が余りないので想像する以外にないのですが……。)
 星野富弘さんと日野原重明さんとの対談集が出ました。富弘美術館を星野さんが案内しながら対談するという構成ですが、中々いいですね。その中で日野原さんが、ある絵の前に立ち止まって、「お母さんの色は淡い色だって?じゃあ、奥さんの色は?」と聞くんです。すると星野さんは、「かなり強い色ですね」と応えて、大笑いが起ります。「最初は、やはり淡い色だったんですが、だんだん、濃い色になって」と、また大笑いです。皆さん、時々ご家庭で強い色は引っ込めて見てください。そうすると喜ばれる。「俺も時々教会に行こうか」ということになるかも知れない……。

 それはともかく、異性が初めて自分に心を向けてくれたという時に誰しも喜びが起るでしょう。ましてや、父なる神がこのちっぽけな、欠け多く破れの多い存在に御目を向け、対話して下さっていることを知るだけで、私たちの心は喜びで充たされます。エッ!神さまより異性の方がときめきが強い、ですって?
 世界でたった一つの宝物を手に入れたような喜びが生まれるのですよ。
 私たちが向かっている方は、イエス・キリストの父なる方です。このお方は、天地万物を創造し、今日まで全宇宙を治め、この銀河系の歴史の一角に「私」という存在をお造りになり、100年ほどの限定された時間の中で生きることを許された方であり、私と共に家族も兄弟も日本人も全人類も同様に愛しておられる方です。このお方に、「父よ」と呼びかけて対話することの驚きと幸い。ここに祈りの真髄があると言わなくて、なんと言えるでしょうか。

 ですから、私たちの祈りの最初は、私たちの「私事」にわたる事柄でなく、先ず何よりも、
 「御名が崇められるように。御国が来ますように」
であるというのは、当然と言っていいでしょう。そこに、私たちと世界に生きる人間の生活の根幹があるからです。

                   (2)
 孤独を歌う多くの詩人がいます。「一億光年の孤独」と歌った詩人もあります。それは詩人特有のレトリックでしょうが、もしそれを本気で味わっているとしたら、それは、神を見失っているからです。命の根幹、幹や根を失えば、小枝に過ぎない私たちは枯れるでしょう。それは「一億光年の孤独」の実態です。

 ですから、イエスがお教えになった「主の祈り」の中にも、「何よりも先ず、神の国と神の義とを求めなさい」という御言葉が鳴り響いています。そうすれば、生活に必要なものは皆、添えて与えられると、イエスはそこで言われています。

 この祈りでも、この後先(あとさき)、神のことと人間のこととの順序は同じです。ですから続いて次に、イエスは、
 「私たちに必要な糧を毎日与えてください。私たちの罪を赦してください。私たちも自分に負い目のある人を、皆赦しますから。私たちを誘惑に遭わせないで下さい」
と、祈るように教えられました。根幹である神と、それに不即不離にある私たちの生活の事が祈られるのです。
 イエスは、私たちの肉体のこと、身体の弱さ、独身の孤独も知っておられます。イエスは生涯独身でしたから、その不便も寂しさも良く味わっておられたはずです。イエスは、どうして食生活という人の基本的なことをおろそかになさるでしょうか。「心は熱すれど、肉体弱し」とイエスは別の箇所で言っておられます。40日40夜断食されたのですから、空腹のこと、パンの必要性を誰よりも熟知しておられたのではないでしょうか。

 そしてまた、この世に生きる人々に必要なのは、「赦し」であり和解であり、憎しみと敵対の罪を越えて関係を創り出していく力ですから、「私たちの罪を赦してください。私たちも自分に負い目のある人を、皆赦しますから」、と祈りなさいとおっしゃるのです。更にまた、私たちが欲に駆られて誘惑に陥らないことも極めて重要です。昨今、自ら誘惑に駆られて行って最後には検察に上げられたりする人たちもありますが、それはこの祈りを持たないからでしょう。しかしイエス様は、私たちの弱さを知られる故に、私たち人間にとって非常に肝要といえる祈りをお教えになったのです。まさに祈りの真髄です。

                  (3)
 もう一点ふれて、お話を終わります。

 今のところでイエスは、「私たちに」必要な糧を毎日与えてくださいとお教えになりましたが、「私に」必要な糧を毎日与えてくださいとは、お教えにならなかったのです。「私たち」の中に「私」が含まれている。むろん「私」のことを含まない祈りはありません。しかし、祈りが私欲に終わらないことが大事なのです。
 神社やお寺でお祈りする祈りは、「私に」必要な何かを、「私の家族に」必要なコレコレをお授けください、でしょう。

 しかし、イエスは「私たちに必要な糧を毎日…」と、広がりのある祈りを教えてくださったのです。この広さはどこまで広がるかというと、世界に生きる全ての人々にまで広がる広さです。
 私たちに必要な糧を与えてくださいとは、全人類との連帯性を持ってその人たちも今日の糧が充たされるようにと祈る祈りです。私たちは全人類に連帯責任があるということであり、祈りが愛となって行くような祈りです。ですから、イエスがお教えくださった祈りは、本当に広いです。

 先程の星野富弘さんは、その本の中で、「命というのは、自分だけのものではなくて、誰かのために使えてこそ、本当の命でないか」と書いておられますが、人と連帯する時に命が喜びになるんです。

 私の糧、私の出世、私の才能、私の成績、私の幸福、私の国。国際化されても、まだ人格は国際化されないで小さいままです。小さいエゴから解放されなければ、真の国際化は始まりません。

 大相撲がいよいよ面白くなって来たと思っていましたら、しばらく前から、外国人は一つの相撲部屋に一人という制限を加えました。心配していましたら、やっぱり一挙に海外での相撲熱は冷め始めたということです。折角、素晴らしい国際化の道具を日本は持っていると思っていましたのに、国粋主義的な考えがそれを狭めてしましました。非常に残念です。国技だからというんでしょうが、こんな事では日本は「狭い」ということで、そのうち世界で何の値打ちもなくなりますよ。世界遺産をどんなに申請しても、そんなものの数がたとえ世界にトップになってもどうしようもないんです。「仏作りて魂入れず」ですよ。そこのところが分かられていないのではないでしょうか。

 しかし、イエスが私たちのお教えになった祈りの真髄は、世界をも包み、全人類とも連帯する、非常に巨大な、懐の深い、広がりのある祈りです。ですからキリストと出会いキリストに導かれる人たちは、「主の祈り」をすることにおいて、すでに非常に広大な、地球規模に広がる視点を持つのです。

 しかし、イエスは祈りの真髄だけをお教えくださったのではありません。5節以下を見ると、祈りの姿勢についても教えてくださいました。それは別の機会にお話いたしましょう。(6月17日)

                            板橋大山教会   上垣 勝

  (写真は、気根が石筍のように立ち上がるラクウショウ。「世界は不思議なもので満ちている」)
   
   教会のホームページはこちら http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/