神を見くびる


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                                        神を見くびる (上)
                                        Ⅰコリント11章17-22節



                               (序)
  今日は「神を見くびる」と言う物騒な題です。これはコリント教会の事を思って付けましたが、今の社会を見ると、神を見くびるような事があちこちで起っています。世界的な多くの科学者は積極的に神を信じていますが、日本ではなぜか無神論者が多いだけでなく、神をなめる人たちや信仰を見下げる風潮さえ見られます。科学が一つの「世界観」になっているのでしょう。残念です。それでは必ず科学者に必要な真理の前での謙虚が失われていきます。

  また今の時代状況を見ましても、北朝鮮との会談をしたものの危険な発言を繰り返すトランプ政権があります。また日本の憲法改定への動きや秘密保護法、働き方改革法などの決め方を見ましても、モリカケ問題の公文書偽造でみられるようなことを平気で行なう、神も真理も侮るような自己中心的な所が見られます。

  一般庶民は健全な生き方をしていると信じていますが、このような政治家が出るのですから、国民自体もどこか歪んで来ているのかも知れません。神を見くびり、人を人とも思わぬ生き方がジワーッと蔓延して、ソドムやゴモラのような思い上がりが忍び寄っているとすれば恐ろしい気がします。

  暫らく前に反響を呼んだ、フランス山岳地にひっそりとたたずむ古い修道院ドキュメンタリー映画、「大いなる沈黙」に登場した全盲の老ブラザーは、「世界が神を知らなくなってしまったのは、何と気の毒なことだろう。もう生きる理由を持っていないのだから」と語っていました。

  「神を失ってしまって、どうしてこの地上で生きると言うのかね」とも語っていました。素朴なこの問いに私たちは耳傾けなくていいのでしょうか。


          (つづく)


                                         2018年7月1日




                                         板橋大山教会  上垣勝



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