自分の恥部を隠して相手を責める罪


           J. B. C. コロ―(1796–1875)。アシュモレアン博物館で。     右端クリックで拡大。
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                                            レバノン杉のように (3)
                                            詩編92篇1-16節


                               (2)
  5節の「主よ、あなたは、御業を喜び祝わせてくださいます」という言葉は素晴らしい言葉です。何と謙虚で素直な魂でしょう。「あなたは、御業を喜び祝わせてくださいます。」聖なる全能なるお方が、取るに足らぬ者を、喜び、祝う事に与らせて下さるのです。足元にも及ばないお方が、罪深い私をお招きになって、お祝いの言葉を言う事を許して下さる。何と有り難いことかと考えているのです。神とのこうした交わりが祈りです。

  主の前に何と謙遜な魂かと、心惹かれます。「喜び祝わせてくださいます。」祝ってやるという驕りは寸分もありません。清き魂があります。ある若い研究者が、世界的な研究プロジェクトに加えられた喜びをどこかで読んだことがあります。夢のようだと。本当でしょう。この信仰者は、神のみ業に加えて頂き、み業を喜び祝わせて頂く恵みを感謝して、「主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう」と歌うのです。

  「御計らい」と言い、「御業」と語るのは、彼に起った神の奇しきみ業が現実にあったのでしょう。それは書かれていません。

  私はこの所で、アダムとエバを思いました。2人は神の戒めを破って、禁じられていた「善悪を知る木の実」を食べて目が開けます。目が開くや、イチジクの葉っぱで自分の恥部を隠して、互いに相手の非を責め始め、神をも責めます。罪とは自分の恥部、都合の悪い場所は隠して相手を責めることです。そんなことを今日もしているのが私たちですが、それが「善悪を知った」彼らの姿です。やがて神は彼らをエデンの園から追放されますが、追放しつつ皮の毛衣を与えて守られたと書かれています。

  神は裁きつつ他方で憐れみ、憐れみに値しない彼らに、親切にも肌を守る衣類を与えられたと記されているのです。神は、私たち罪を犯して神を避け、小さな善悪を振り回している人間を毛衣で包んで憐れまれる方です。これは、やがて罪深い者を憐れみ、労るために、キリストという愛の毛衣を送って、私たちを赦しで包んで下さることに繋(つな)がって行きます。

  ミルトンの「失楽園」に悔い改めたアダムとイヴが出て来ます。アダムが罪を悔んで自分を苛(さいな)むイヴにこう言います。「イヴよ、自分で背負える分だけ背負うがいい。」背負えない分まで背負おうとしてはならない。そこまで自分を苦しめ、深追いしてはならないと言う意味です。こんなことも言います。「神はどんなに激しく怒り、厳しい気配を示されても、その静かなお顔には、ただ深い慈しみと恵みと憐れみの色が輝いていた。さあ、この方の許(もと)に帰ろう」と呼び掛けるのです。

  この信仰者も、「わたしは御手の業を喜び歌います。 主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう」と語る時に、自分の身に経験した神の憐れみと慈しみ、真実なみ業があったに違いありません。

  「愚かな者はそれを知ることなく、無知な者はそれを悟ろうとしません」という言葉にも、神への賛美が含まれ、知ろうとも、悟ろうともしない彼らへの残念さが溢れています。この信仰者には、頑なに拒む彼らへの経験があったのでしょう。

  イエスヨハネ10章で、ユダヤ人たちから詰め寄られました。彼らはイエスの言葉尻を捉えて逮捕しようと迫りました。その時イエスは、頑(かたく)なに、「わたしは言ったが、あなた達は信じない。わたしが父の名によって行なう業が、私について証ししているが、あなた達は信じない」と語っておられます。知ろうとしないし、悟ろうとしない高ぶり。イエスはそれを悲しまれたでしょう。

  今日の8節は、「神に逆らう者が野の草のように茂り、悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても、永遠に滅ぼされてしまいます」と歌います。神を悟ろうとせず、知ろうともしないが、野の夏草のように背高く繁るのです。草が夏には背丈より高く生い茂ります。悪を行なう者らも同じです。そこに人間の悩みがあります。

  彼らは己の実績を誇って、勝ち誇ります。この世の春を謳歌しているのです。だがたとえ奇麗な花を見事に咲かせ、繁栄し、春を謳歌しても、それは一時(いっとき)だ、徒花(あだばな)だ。長く続かないばかりか、残念にも「永遠に滅ぼされてしまいます」と語るのです。それに対して、「主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。」これが歴史の根本だ、真実だと彼は語ります。

       (つづく)

                                         2018年6月24日


                                         板橋大山教会  上垣勝



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