心に自由なスペースを作る


                          モンマルトルの画家            右端クリックで拡大
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                                                  悲しみが喜びに変わる (4)
                                                  ヨハネ16章19-22節
        


                              (3)
  私たちの心にキリストの喜びが宿り、その喜びが消えぬためにはどうすればいいのでしょう。イエスのみ言葉を静かに味わい、それを撃ち込まれた弾丸のように心に留めるスペース、時間と空間のスペース。「神のためのスペースを作る」(ナウエン)ことが大切です。

  というのは、私たちは日々、思い煩いが溢れる社会で暮らしているからです。多くの心配事で心が占められています。しかも退屈さも襲いますし、誘惑に引き込まれることもあり、嫌悪感や孤独感に襲われることもあります。

  だが、これらの只中で、神のためのスペースを、時間的に空間的に自由なスペースを作る。神が私の心に入って来て下さる余地を作るのです。そこでキリストが出会い、新しい命、心の平和、イースターの喜びを与えられるスペースです。すると、「その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」ということが現実になって来る。22節はそう述べるのです。

  一人の人間が誕生する時のように、イエスの復活の喜びは十字架という痛みを通して生まれました。この痛みなしに私たちの復活の喜びは来ません。だからイエスは、「女は子どもを産む時、苦しむ。彼女の時が来たからだ。だが子どもが生まれてしまうと、この世界に一人の人間を持った喜びのために、もはや苦痛を思い出さない」と言われ、「誰もあなた方から喜びを奪う者はない」と語られたのです。

  子どもが生まれたら、もう苦しみはありません。キリストの復活の喜びは後戻りしません。決して後戻りしない。前進だけがあります。化学反応には可逆反応不可逆反応がありますが、これは不可逆です。だから、「誰もあなた方から喜びを奪う者はない」と語られたのです。

  これは終末的な喜びと言っていいでしょう。しかし、私たちはまだ終末以前に生きていますから、時々翳(かげ)りや曇りがあり、雨や嵐に晒されます。暑さや日照りにも晒されるでしょう。

  しかし終末的に授けられる喜びは、完成された喜びであって、まさに終末において締め括りとして授けられるのです。言わば、雲の上では常に太陽が燦々と輝いているのと同じです。

  イエス様は、この章の最後で、「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」 と語っておられます。イエスにおいて平和が与えられる。既に勝負がつき、後戻りしないのです。

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  このような喜びにこの地上で真実に与った人は、ぬるま湯に浸かるように自分だけでその喜びに浸っていてはもったいないと思います。先程触れましたが、パウロはロマ書12章で、「喜ぶ人と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」と勧めています。

  他の人が受けている試練を、一緒に分かち合うことをためらってはなりません。苦労することを恐れてはなりません。最も近くにいる隣人の苦労。妻の苦労、夫の苦労、親の苦労。隣り人の苦労。社会の底辺にある人たちの苦労。外国人の苦労。難民の苦労…。地獄の真っ只中でも、キリストとの交わりがあれば、苦労する人たちと共に生きる喜びは完全であることを発見するのです。

  ある人が健康について、「健康とは苦しむ力だ」と書いていました。どういうことか。それは自分の健康の衰えと折り合って生きる。衰えと共に生き、苦しむ力が、心が健康である徴だと言いたいのです。そしてまた、他の人の苦しみにも参与する力、それも健康である徴だと言うのです。

  イエスは、私たちに健康な生き方を与えられるのです。自分だけが幸せだったらいいという、自己チュウの生き方は不健康です。自己チュウは病的です。しかし信仰を授けられ、霊的に健康にされた人は、自分の健康の衰えと折り合って共に生き、他の人の苦しみに参与する力も授けられるのです。それが健康の徴といってよいでしょう。

  バルトという人はこう言っています。「キリスト教的な希望は、人間の他の全ての希望が終る出来事、つまりゴルゴタの十字架におけるイエス・キリストの死に基礎を持つ。」キリスト教の希望はキリストの死に基礎を持つのです。あらゆる信頼や希望が絶たれるどん底から、キリスト教の希望は始まるのです。

  皆さんにそれが起こることをお祈りいたします。


       (完)

                                             2015年9月20日

                                             板橋大山教会 上垣 勝



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