ビッグバーンを超える神


                                             主のみ名こそ輝け (上)

                                             詩編115編1-3節


                              (1)
  ここには万物の創造者である神、ヤーウェへの絶対的な信頼と頌栄・賛美があります。

  「私たちではなく、主よ、私たちではなく」と、2回にわたって繰り返すことで、主なる神の前に、私たちは絶対的に取るに足りない存在であることを自覚し告白しています。ヤーウェの神の真の尊さ、その尊厳さを知った者が、初めて自覚しうる賛美です。

  しかし、これは神への恐怖ではありません。畏敬であり、喜びであり、感謝です。「私たちではなく、主よ、私たちではなく。」これは神の前での卑小さの発見ですが、その卑小さは自分を見下げたみじめな卑小感でなく、神の賛美となって力強く表われる、絶対者の前での喜ばしい小ささ、神の前で安心できる弱さ、取るに足りなさ、卑しさの発見です。

  ヤーウェの真の神を知る時に、初めて目が開かれる広い世界と言っていいでしょう。

  ですから、「あなたのみ名こそ、栄え輝きますように。あなたの慈しみとまことによって」と歌うのです。神の「まこと」とは不変の愛、安定した変わらぬ愛のことです。

  神の慈しみとまことに出会う時、必ず神賛美が生まれます。また、神の慈しみとまことに出会わぬような神賛美はありません。信仰の喜びは、神の愛とまこととの出会いです。そこに人間の命の源があります。人は誰しも、そこに戻る必要があります。天災や人災が起こり、人の業への信頼が崩れている時は、なお更そういう命の源に立ち帰るべきチャンスです。

                              (2)
  この信仰者は今、どこにいるのでしょう。「なぜ国々は言うのか。彼らの神はどこにいるのか」という嘲笑的な質問から察すると、彼は母国イスラエルからバビロンへ連れ去られ、捕囚の憂き目に遭って、神の選びの誇りが無残に傷つけられ、周囲の人々の侮蔑の内にあると思えます。

  あるいは、「国々」と言っていますから、難民となって国々を放浪し、流浪の民となって諸国を移動しているのかも知れません。日本は難民を殆ど受け入れませんが、今は震災難民、原発難民が何十万人も生まれて、国内に大規模な民族大移動が起こっています。

  この詩篇の信仰者は、外国の地に難民となって悪評を立てられ、誤解され、虐げられた上に、「お前たちの神はどこにいるのか」、お前たちの神に救ってもらうがよいと囃し立てられているのです。彼にとって、異邦人から神を侮辱されるのは最大の侮辱でありました。

  そういう試練と苦難の中で彼は、「私たちの神は天にいまし、み旨のままに全てを行なわれる」と歌うのです。彼は、ヤーウェの神の尊厳を、試練の中で告白するのです。113篇には、「主は全ての国を超えて高くいます。主の栄光は天を越えて輝く」とありますが、この詩篇は113篇とも連動し、リンクし合って神を賛美し、主なる神は全ての国を超え、その住まいは諸々の天の天も、無限に広がる天をも超えておられる。宇宙と言っても、神を容れるには余りに狭すぎる。その栄光の輝きは宇宙にくまなく輝いている。

  神はビッグバーンをも超えておられます。宇宙の端から端まで、果てから果てまでも超えておられます。しかも宇宙に満ちておられるのです。

  今日の続きの4節以下には、国々の偶像が取り上げられます。これはバビロンやペルシャや近隣諸国の木や金属や土で作った土偶や偶像でしょう。彼は、天地の主にして私たちの神は活ける神であって、偶像とは全く異なると語ります。

  偶像とは何者でしょう。それは人が自分の好きな神を作って礼拝するものです。良心を持って神に仕えず、自分の都合で仕え、神を自分に役立たせようとする。自分に役立つ神です。ですから都合が悪くなれば、神とはおさらばをする。自己中心、人間中心が偶像を作り、祀り上げているに過ぎません。

  だが天地を超え、しかもご支配されるヤーウェの真の神は、偶像のように目に見える形に刻むことはできません。天地に満ち、活きて働く神は、命のない木や金属に刻みつけることは不可能です。

  彼は外国の地で汚される神の聖なるみ名のために祈るのです。それは自分たちのためではありません。「私たちでなく、主よ、私たちでなく、あなたのみ名こそ、栄え輝きますように。」「主のみ名こそ、輝け」。これです。

                              (3)
  今日は一部しか交読しませんでしたが、一説によれば、この詩篇は、イスラエルの礼拝の中で歌われた詩編のようです。そうだとすれば、祭司やレビ人、そして会衆や合唱隊によって互いに先ほどの交読のように、しかしメロディをつけて交唱し歌ったのでしょう。さぞ荘厳な響きが会堂に響き渡ったことでしょう。

会堂に集まる全会衆が、心を込めて、「私たちでなく、主よ、私たちでなく、あなたのみ名こそ、栄え輝きますように。あなたの慈しみとまことによって。…」と歌う。このような歌を、板橋大山教会に集まる私たち全会衆も心を込めて歌い、告白し、神を讃えたいものです。

          (つづく)

                                         2011年4月17日


                                     板橋大山教会   上垣 勝


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