小さな胸は地球を覆うほどです


                   12月末に咲いた皇帝ダリアは4m。板橋の知人の庭で。
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                                              偉大な一言 (上)
                                              ルカ1章26-38節


                              (序)
  主のご降誕おめでとうございます。のんびりと町を行くと、美しいクリスマスの飾りが目を楽しませてくれます。上板の住宅地でもあちこちの玄関に美しいリースが飾られていて、これだけもキリスト教に親しみを抱く人が多いのかと驚きます。イギリスでもこれ程リースは飾っていなかった気がします。

  街のクリスマスと違って、今年の教会のクリスマスはいたって質素です。ツリーもリースも何の飾りもなく、御子の誕生を祝うという本質のみがあります。長い教会生活で、これほどすっきりした清々するクリスマスを迎えた事はありません。

  先ほどのイザヤ書11章に「エッサイの株から一つの芽が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち」とありました。クリスマスはこの「一つの芽」、この「一つの若枝」である御子をお祝いするわけで、一番大事なのはこの一つです。この本質的なお方です。この一つの方が無ければ、飾りがどんなに華やかであっても何ら本当の力は出て来ません。単に表面的な流行に乗っても、ただ流されているだけです。だが本質があり、命が備わっていれば必ずそこから生活の中で力強く色々なものが発展します。そういう意味で、50年に一度ぐらいは、枝葉をすっかり落としたクリスマスも素晴らしいと、これもリフォームで与えられた恵みの一つだと感謝しています。

                              (1)
  さて、今年のクリスマスは母マリアの事から福音を聞きたいと思います。

  今の聖書に、6ヵ月目に、天使ガブリエルがナザレの町に神から派遣され、ヨセフのいいなずけであるマリアの所に遣わされたとありました。6ヵ月目とは、直前の部分に書かれているバプテスマのヨハネの母、エリサベトが妊娠6カ月目の時、という意味です。

  エリサベトは名門の出ですが、マリアは氏も素性もはっきりしない田舎娘です。ナザレは現在は有名ですが、当時は、ナザレから何か良いものが出ようかと小馬鹿にされるほど見下げられた田舎でした。早く両親を亡くし、10歳そこそこで他所の家の子守や掃除洗濯の小間使いをする下女であったようです。

  1章48節でマリア自身が、「身分の低い、この主のはしため」と歌っています。前の訳では、「この卑しい女」となっていました。

  そういう卑しいマリアに、御使いが現れて、「おめでとう。恵まれた方、主があなたと共におられる」と告げたのです。突然の訪問に彼女は戸惑い、この挨拶は何事かと考え込んだとあります。前の訳では、「ひどく胸騒ぎがして」、この挨拶を「思い巡らしていた」となっていました。小さな胸に、天使の言葉はあまりに明るく、まばゆく、殆ど信じられなかったのです。

  み告げを受けた時は恐らく14、5才です。身分の卑しい上に、世間の事は何も分からない小娘です。相談する者もなく、不安に襲われて、恐れと戸惑いで、小さい胸は張り裂けんばかりだった事でしょう。

  すると、「マリア、恐れる事はない。あなたは神から恵みを頂いた。あなたは身ごもって男の子を生む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方、神の子と言われる」と言われたのです。

  彼女は耳を疑ったでしょう。全くふさわしくない自分です。何の価値も、力も、功績もなく、その上決定的な事は、「私は男の人を知りませんのに。」これはどうにもなりません。

  ですから彼女は常識を備えた女性です。ですから、全力を込めて否定したのです。

  ところが御使いは、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたに臨む。生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。エリサベトも年をとっているが、男の子を身ごもって6ヵ月に入っている。神にはできない事は何一つない」と語ったのです。

  彼女に決定的だったのは、「聖霊があなたに降り」という言葉だったのでしょうか。それとも、「神にはできない事は何一つない」とい言う言葉だったでしょうか。いずれか良く分かりませんが、最後的に、このことに自分は掛けようと決断したのです。マリアは大胆な女性でした。なぜなら、ヨセフとの婚約は解消されるかも知れないからです。将来が約束されている、その将来を捨てる事になってもいいと、神に掛けた。御使いの言葉と言っても現実的とは言えない。それを信じ、一生を棒に振っていいのでしょうか。普通なら出来ません。

  ノーベル賞を貰ったアメリカ在住の根岸さんが日本の若者に、もっと大胆に生きよう。大きな夢を抱き、最善を尽くすだけでなく、リスクを恐れず進もうと呼びかけています。

  マリアは片田舎に住む卑しい身の若い娘ですが、その気宇は地球を覆うほど大きいです。その小さな胸は全世界を覆うほどものです。それで、「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」と語ったのです。彼女はリスクを恐れず、神に従った。

       (つづく)

                                     2010年12月26日


                                      板橋大山教会   上垣 勝


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