もし国会を民主党か自民党が占めたら



           リフォーム(2) 講壇、オルガン、十字架、長椅子…すべてが運び出されました。
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                                              リーダーへの叱責 (上)
                                              エゼキエル34章1-2節

                              (序)
  先程は、皆さんが囁くように讃美歌を歌いました。まるで隠れキリシタンが鉱山の穴で囁くように讃美歌を歌っているみたいでした。声は囁くように小さいが内側に熱い情熱を込めて。グリーンホールで4ヵ月半礼拝しますがこれも恵みの時です。キリシタンの信仰に思いを馳せ、彼らの信仰にもつながる思いで礼拝しましょう。

  先週の月曜日から教会の工事に入って、既に床がすっかり剥され、会堂の壁に大きな穴が開けられ、そこから壁や床や根太(ねだ)の木材が小さく切られて運び出されました。台風が来るというので急遽、昨日壁を塞ぎましたが、今週に一階が取り払われ一番危険な時期を迎えます。

  工務店のAさんがぜひ祈っていて下さいと言っています。大工さんも不安です。地震が来て2階の荷物がゆさゆさ移動すれば倒壊の危険が大きい。私はそこで仕事しています。どうぞ、普段祈っていない方もぜひ教会の為にお祈り下さい。

                              (1)
  さて今日の34章は今から約2550年前の預言者エゼキエルの言葉です。1節に、「主の言葉が私に臨んだ。人の子よ、イスラエルの牧者たちに預言し、彼らに語りなさい。主はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。」ところが、聖書をお持ちの方は4節にあるように「お前たちは、弱い者を強めず、病める者を癒さず、傷ついた者を包んでやらなかった。…彼らは飼う者がいないので散らされて、あらゆる野の獣の餌食となり、散り散りになった」と言うのです。

  イエス様は、「良い羊飼いは、羊のために命を捨てる」と言われましたが、この時代、イスラエルの牧者たちは、群れを養わず、自分自身を養っている。群れ全体への責任の放棄が起っている。そのため全体の連帯が崩れ、一体感が失せ、みな散り散りになってしまった。

  その上、獣たちの餌食になっている。ここに、多くの人と一緒にバビロニアに強制連行されたエゼキエルの悲痛な叫びがあります。


  この章に「牧者」という言葉が頻繁にでてきますが、「牧者」とは誰を指すのでしょう。この書全体から考えると、客観的には国の指導者たち、王や政治家、指導的な祭司たちを指します。エゼキエルは今、国全体の運命を問題にしています。国政を掌る者たちを指すのは当然です。34章全体がイスラエルのリーダーたちへの厳しい叱責の言葉です。

  しかし、霊的に、信仰的に解釈すれば、牧師たちや群れの牧者として立てられた者たちの責任を問う箇所でもあります。

  ここは今日の牧師たちが、牧者である自らへの厳しい叱責の箇所として耳を澄まして聞かなければならない箇所です。そのために私はある時期この箇所は避けて通りたかった。耳をふさぎたかった。牧師としてまだ十分でないという自責の念があるために、「お前は自分自身を養っている。群れを養っていない」という叱責を聞くのが耐え難く、この箇所になると気が重くなりました。

  だが自らは棚に上げて、ここは王や政治家のことが言われているのであって、牧師とは無関係だと逃げちゃあならない。逃げようと思うと、人間、どこまでも逃げることが出来ます。

  しかし、「牧者は群れを養うべきなのに、自分自身を養っている。」そうだ!それは自分だと考えると、生き方も、考え方も深められるのではないでしょうか。ヘブライ書に、「主の鍛錬を軽んじてはいけない。神は愛する者を鍛え、…鞭打たれる。…あなた方を子として取り扱っておられる」とあります。

  聖書は歴史的な文書です。しかし、単に歴史的文書として読んでいると自分との関わりがなくなります。聖書全篇は、私という人間のあり方を問題にしています。そう読まなければ、聖書の一番大事な真髄に与ることはできません。

  牧者、牧師が「群れでなく、自分自身を養っている。」そのため恐るべき共同体の解体が起っている。聞く耳を持たない牧師たち、謙虚に仕えない神の僕たち。そのために教会が荒れ果ててしまう。そういうことがあります。私は今、日本基督教団の行方を考えて話しています。今回の教団総会の冒頭で選挙制度が全面的に変えられ、51%の人たちであっても常議員全体を制覇できる選挙制度になったために、地の塩である人たちが一掃されました。ことごとく一掃です。大変悪い選挙制度にしました。

  恐らく教団は今後機能不全に陥るでしょう。常議員会が必ずしも教団全体を代表しなくなったからです。いわば国会が全部民主党になってしまった。あるいは自民党になってしまった。一党独裁です。大変な事態です。これではどんな法案も通過します。

  マルコ9章に、「人は皆、火で塩味をつけられる。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして平和に過ごしなさい」とあります。自らへの厳しさと他者へのいたわりと奉仕が必要である。生きた教会、生きたキリスト者はこの2つを併せ持ちます。自分への厳しい自己批判の目、そして他者と和らいでいく。これが平和の道です。だが、他者に対し塩をこすりつけ、身内には甘い平和では腐敗するのは明らかです。日本基督教団は今、そういう状況にあります。

  預言者エゼキエルは、このため「リーダーへの叱責」、厳しい叱責をするのです。

         (つづく)

                                        2010年10月31日



                                       板橋大山教会   上垣 勝

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