単純素朴さの中で見えてくるもの


                       ブルーモスクで礼拝するムスリムの人たち
                               ・


                                              天国をめざす旅人 (下)
                                              マタイ6章19-21節



                              (2)
  イエスは、「天に富を積みなさい。あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とおっしゃいました。前の訳では「天に宝を積みなさい」となっていました。

  今申しましたように、私たちの教会に多くの方が仕えて下さいましたが、これはとりもなおさず「天に宝を積む」歩みでいらっしゃいました。この方々は天に宝を置き、心の根幹を永遠の古里である天に向けておられたということです。即ち、今日の題にあるように「天国をめざす旅人」であられたということです。それは現在教会に出席しておられる皆さんも、やはり心の根幹において天国をめざす旅人であられると思います。

  前の口語訳のヘブル書に、「これらの人は皆、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものを受けていなかったが、遥かにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり、寄留者であることを、自ら言い表わした」とある通り、天国をめざす旅人です。

  言葉を変えて言えば、お金の神マモンに仕えず、主なる神に仕えて、遥かに神の国を望み見て旅する者たちであるということです。


  今日の聖書に、「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは虫が食ったり、さびが付いたりするし、盗人が忍び込んで盗み出したりする」とありました。

  今日の虫の食い方、錆びの付き方、盗人の入り方は古代とは違います。むろん今でも昔のように泥棒が盗みに入りますが、しかし今日では株や債権の暴落という形で一夜の内に富が持ち去られます。盗人の姿は見えないのに持って行かれます。

  「天国をめざす旅人」といえど、わたしたち生活者には誰しもお金は必要です。イエスは非現実的な方ではありません。ただ、イエスは「地上に富を積むな」と言われるのであって、富を持つな、金を持つな、何も持つなと言っておられるのではありません。

  「積むな」とは、富を積んでしがみつき、執着し、金の亡者になるなということです。そういう生き方をやめよということです。

  箴言11章に、「富に依存する者は倒れる。神に従う人は木の葉のように茂る」とあります。依存すると、いつの間にかそれに左右され、縛られます。ケチになりがちです。持たなくてもケチになりますが…。人への警戒心も増します。また箴言28章に、「金持ちは自分を賢いと思い込む。弱くても分別ある人は彼を見抜く」とあるように、自分は賢い、偉いと思いこんで、尊大になりがちです。金(かね)の神に仕えるとなぜかそんなふうになりがちです。

                              (3)
  イエスは「天に宝を積みなさい。…あなたの富のあるところに、あなたの心もある」とおっしゃるのです。

  富を持っていいのですが、生きる目あて、目標を、地上でなくもっと次元の高い天に向けよという事でしょう。神をめざして生きよということ、「天国をめざす旅人であれ」ということです。その時、富の持つ力から解放され、自由にされ、身軽になる。

  富というのは不思議な力を持っていますが、持てば持つほど不安が募り、警戒心が生まれます。また、役に立つかどうかで人を峻別したりします。だが天に宝を積む生き方になる時、その醜い姿から解放される。

  イエスはまさにそういう方でした。神のもとに一切の宝を積んで、足どりは軽く、愛に富み、自由に人に接し、心を開いて持たない人たちと交わられました。そういう人をも見下さなかった。

  ヨブ記22章に「全能者こそがあなたの黄金、あなたにとっての最高の銀となり、あなたは全能者によって喜びを得…」とありますが、そういう喜びの生活をイエスはされました。

  神の前に生きる生活は、枝葉末節、枝葉(えだは)を極力落として単純素朴に生きる生活です。むろん枝葉も大事ですが何を優先するのかで単純素朴になるのです。それが、私たちが曲がった道に迷い込むことから救い出すのです。

  命が満ちあふれる生活、心を開いて喜びと平和をもって生きるために単純素朴になることが大事なのです。生活をシンプルにすることです。単純素朴な生活を通して、私たちは生きていることの喜びを再発見するでしょう。枝葉に覆われてこれまで見えなかったものが見えてきます。迷いの道から救い出されるのです。

  喜びなしには、いくら沢山の富を積んでも意味はありません。単純素朴な生活は、濁(にご)りが澄んで来て喜びが見えてくる生活です。肉体も富も名誉もやがては朽ちます。神様の前にはそういうものは持っていけません。

  私たちは「天国をめざす旅人」です。神は、「あなたは私が与えた賜物をもって、どれだけ人を愛しましたか」とお尋ねになるでしょう。いくら儲けたか、幾つ賞を取ったかをお聞きにならないでしょう。最後に残るのは愛だけです。

  ブラザー・ロジェさんのある言葉を、妻がこんな風に訳してくれました。「神が創られた輝かしい賜物を心の内に頂いて、喜びの歌を歌いなさい。そうすれば、あなたの目は永遠を映し出しているものに気づくでしょう。」

  何と味わい深い言葉でしょう。私たちの目が、永遠を映し出しているものに気づく。ここかしこに希望の光を見つける人になる。そういう生活をしたいと思います。それが、「天に宝を積む」生き方と言っていいでしょう。

           (完)

                                         2010年10月24日


                                       板橋大山教会   上垣 勝

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