人生の優先順位 (上)


                             トゥーン川の花壇
                               ・  ・
  
  
  
  
                                              人生の優先順位 (上)
                                              フィリピ4章8-9節


                                 (1)
  パウロは今日の最初の所で、「終わりに、兄弟たち…」と述べて、今この手紙を閉じようとしています。これまで述べて来たことを簡潔に幾つかの言葉にまとめ、出来れば適切なアドバイスを加えようと思い巡らしていた筈です。

  そこで、「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や賞賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」と申します。

  すべて真実なことから始まり、ここに7つの光る言葉が置かれました。まるで7つの真珠を配置した美しいネックレスのようではないでしょうか。女性の方は、この7つの真珠のネックレスがあれば実際のネックレスは要らないとすれば、安上がりですが…。それはとにかく、パウロはこのネックレスを身につけなさい、心に留めなさいと語るのです。

  これら7つを、パウロはどこから思いつき、どこから得たのでしょう。実はこれらは当時のギリシャ思想の様々の徳を、キリストの福音で篩いにかけて、ここに配したと言われています。

  彼はむろん、キリストの十字架と復活、そして神のみ言葉から教えを説きました。しかし稀にですが、このようにイエスの教えと対立しない、他の文化の中にある良質のものを用いることがありました。7つの聖性と言ってもいいものです。

  先日、病院の待ち時間にテレビを見ました。同志社を作った新島襄の奥さん、新島八重さんのことでした。彼女は会津藩士の娘で五稜郭で鉄砲隊に加わり銃をもって戦った勇ましい女性です。後にアメリカに留学し、帰国して新島襄と結婚し、封建的な時代ですから夫を尻に敷く悪女と言われました。留学したせいで頭は外国、身体は日本、羊頭狗肉(ようとうくにく)の鵺(ぬえ)的存在だと囁(ささや)かれて世間から悪評を得ますが、新島襄が生涯愛した愛妻でした。新島は57歳で亡くなりますが、その後、八重さんは日本最初の従軍看護婦になり、茶道の先生になり、自由にお寺にも出かけ、生涯キリスト者として見事に生きました。

  キリスト者でありながら、どうしてお坊さんの話しにも耳を傾けたのか、夫の死後、仏教に鞍替えしたのかと騒がれました。

  その時、八重さんは「キリストにあって自由な者がどうして他の宗教家の言葉に耳傾けてならないのか」と反駁したようです。

  パウロは、キリストを証しするためなら、私はどんなことでもするとまで語りました。ミイラ取りがミイラにならない限り、神の栄光が現われるためなら、ストア派の言葉であろうがどんな言葉であろうが、キリストの福音の篩いにかけて良いものは書き記すのです。ここにキリストにある者の自由があります。この8節は彼の信仰の自由がほとばしり出ている言葉です。

  フィリピの町はギリシャの影響下にありましたから、学のある人たちはこれらの言葉を知っていたからでもあるに違いありません。

                                 (2)
  ・不真実でなく、すべて真実なことです。混じりけのない真理であることです。
  ・低俗なことでなく、すべて気高いことです。尊ぶべきこと、高貴なことです。
  ・悪でなく、すべて正しいことです。善と言われるものです。
  ・汚らわしいことでなく、すべて清いことです。純真さ、清潔さも含みます。
  ・憎むべきことでなく、すべて愛すべきことです。自然の理に適った法と言ってもいいでしょうか。
  ・不名誉なことでなく、すべて名誉なことです。誉れ高いことです。
  ・また心の下品、自己中心でなく、徳や賞賛に値すること。愛や奉仕、寛大さの美徳です。

  分かりやすいように、何でないか、何であるかを申しましたが、ここでパウロは、何が何より優り、何を優先すべきかを語ります。優先順位は何かです。

  この年末にポーランドで開かれたテゼの大会でブラザー・アロイスさんは人生の中で何を優先するのかを語っていました。何を選び、何を捨てるのかです。情報量の溢れる時代は、誘惑や欲望を掻き立てられる時代でもあります。ですからそれを整理し、何を優先するかが大変大事です。特に青年たちには大事です。

  先週、神様のいたずらで、2階であった「靖国」の映画の後「不都合な真実」という映画も見ました。ブッシュと争ったゴア元・副大統領が、温暖化問題、CO2問題でこのままだと地球はどうなるのかを語る、彼がノーベル平和賞を受けるきっかけにもなった映画でした。さすが話題作で、2つとも見応えがありました。

  その中で、彼が温暖化問題と取り組むに至ったいきさつを語っていました。その一つは、まだ10歳ほどの息子さんが命を落とすかという大病を患い、ゴアさんは上院議員でしたが1ヶ月に渡って病院に寝泊りして看病に尽くします。幸い息子さんは回復しますが、その時、彼も何を優先順位にすべきかを思ったそうです。

  その時は息子さんとの生活を最優先しましたが、もう少し広い視野に立って、自分の人生の優先順位は何かとゴアさんは考えたのです。すると温暖化問題に取り組むことこそ、最優先すべきことだと気がついたと言います。

                                 (3)
  では、皆さんにとって礼拝生活というのは何番目の順位でしょうか。1番、2番、3番、4番…。後ろの方なら、今日ここにはおられないでしょう。洗礼を受けて間もなくはトップでした。だがやがて、徐々に後退するのでしょうか。それとも一旦後退しても、誘惑を払いのけて再び体勢を立て直すのでしょうか。

  礼拝とは何でしょう。礼拝は神様に会いに来ることです。神様に仕えること、サーヴィスです。いい説教や講演、内容のある講義を聞きに来るのではありません。それはまだ礼拝者の本質ではありません。神との一週間の生活を始める第一歩を踏み出す日です。

  朝、大山の駅前を歩きますと、あちこちに長い行列が出来ています。ここでも、あそこでも、向こうでも並んでいます。何かと思ったら、パチンコ店の開店を待っているのです。冷たく裁く思いはありませんが、一日の最優先がパチンコとは悲しいです。それ以上に優先するものがないのは残念です。

  トヨタは世界で何百万台もリコールをすることになりました。だがリコールしますが、車自体には設計ミスはないと言って強気です。リコールするが欠陥はないとはどういうことでしょう。そこに人命より会社優先、利益優先のトヨタの経営態度はなかったでしょうか。内部告発と言うから中々内部からの声が挙げにくいのかも知れません。内部告発というのは内部に良心の声があるということです。あなたがたは地の塩であるとは、社会の中の良心的な声です。企業内で、良心が圧殺されているから問題が世界的になったのかも知れません。人命より利益の優先順位が上である点です。

  ただ、ある人はこう言います。「本当に真剣に考えられるべき罪とは、第一に誰であれこの世の子らにおける罪ではない。(だからトヨタの罪でもないのです。)そうではなくて自らを神の子として知ることの許された者たち(キリスト者)における罪である」(エバーハルト・ブッシュ=現代ドイツの神学者)。何を最優先するのか、正しい優先順位を知らされた者たち、イエスを教会と世界の主としてその名を知るキリスト教徒は特別な誉れと責任を負っているという事です。

  やや難しくなりましたが、語っている意味がお分かりでしょうか。

          (つづく)

                                  2010年3月7日


                                     板橋大山教会   上垣 勝

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