少年イエス (上)


  
  
  
                                                                                            ルカ2章41-52節


                                 (1)
  イエスの両親は敬虔な人たちでした。敬虔であるだけでなく、貧しく、飢えを知り、また涙を知る人たちでした。

  イエスが生まれてから、毎年エルサレム神殿に詣でていたと書かれています。イエスの兄弟姉妹は、イエスを入れて少なくても7人はいますから、ある年はマリアは身重であったり、乳離れしない子どもがいたり、年と共に幼い子どもを何人も連れてナザレから150キロ以上も離れた都に旅したのですから、相当強い信仰がなければこれは不可能でしょう。

  親族や知人達と一緒の巡礼の旅ですから、年一度の骨休めの楽しい慰安旅行の意味もあったでしょう。だが往復ほぼ2週間、エルサレムで一週間滞在しますから、3週間ほどの巡礼に費やす費用はかなりだったでしょう。子沢山で貧しかった彼らが、よくこういう信仰を維持しえたと驚かないではおれません。

  詩編に、「都に上る歌」というのが10篇ほどあります。そこには、神を畏れ敬う人でありたいという思いが溢れていますし、魂を沈黙させて幼子のように主の前に出る人になりたいという願いが記されています。マリアとヨセフは、信仰を同じくする仲の良いカップルだったのではないでしょうか。

  1章の受胎告知の箇所からすると、マリアは、神の言葉を心に留めて思い巡らす人でした。人の言葉を気にしたり、思い巡らすのでなく、何よりも神のみ使いの言葉を思い巡らしました。今日で言えば、聖書を思い巡らす人です。キリスト教信仰はみ言葉を思い巡らして生きることです。彼女の人となりは、真実に神に向いていたことが、ここから分かります。

  つまらないことに心を向けていると、人間がつまらなくなります。

  み言葉を思い巡らすとは、それを噛みしめて深く内省することです。するとみ言葉の意味が深められますし、それに従ってその人の内なる魂の深み、内面性、生き方の深さも与えられます。それだけでなく気が晴れます。気が晴れると元気が出ます。

                                 (2)
  イエスが12歳になった時も、「両親は祭りの習慣に従って都に上った」とあります。

  12歳と言うのは、当時の社会では一人前の大人として扱われる年齢です。特に宗教的には大人として行動しなければなりません。日本でも、昔は尋常小学校は12歳で卒業して、殆どが働きました。一人前の大人ではありませんが、見習いですが社会に出て働きました。今は、ほぼ10歳遅れて社会に出ます。それだけ大人になっているでしょうか。

  さて、少年イエスエルサレムに残っていて、両親は気づかずに1日路を行って、息子がいないのに気づき、都に戻りました。3日後にやっと神殿で、学者たちの真ん中に座って「話を聞いたり、質問したりしておられるのを見つけた」とあります。子どもらしい素直さで受け答えされる姿がここにあります。しかし学者たちから見れば、互角に話す少年、同じレベルで問いかけてくる少年にたまげたでしょう。人々は「イエスの賢い受け答えに驚いていた」とあります。

  両親はわが子を見つけて、「何故こんなことをしてくれたのです。お父さんも私も心配して探していたのです」と言いました。両親は全く普通の親です。マリアは聖母ではなく、普通どこにでもいる女性です。両親以外は皆、イエスを一人前の大人と見たが、両親だけはそうでなかったという事でしょう。

  すると少年イエスは、両親に、「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるのが当然だということを、知らなかったのですか」と答えました。自分の父の家とは「神の宮」「エルサレム神殿」のことです。だが両親はその意味が分からなかったのです。どうしてでしょう。マリアは受胎告知で、「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」と言われましたから、考えれば分かる筈なんですが、神の子と「呼ばれる」ということと「神の子だ」と言うのとでは雲泥の差があるからでしょうか。

  それはともかく、イエスは12歳になり、独立した大人として扱われるようになった時、神こそ、自分の本来の真の父であることを、ご自分の本質はそこにあることを、ご自分の真の姿を両親に打ち明けられたと言うことです。

  普通なら、こんなことを言うなんて、とんでもない事件です。気が違ったかと誰しも思います。

  しかし、神の子であるというのですから、人間からの独立性はイエスにとってはごく自然だったでしょうし、予め語らないことによって、ご自分の本質を、明確に、はっきりと両親に示すことができたでしょう。それに、両親は必ずエルサレムに戻って来ると分かっていたのでしょう。

                                 (3)
  さて、今日の箇所で私たちが驚くのは、神がご自分の父であるお方が、その事を両親にはっきりと語られたイエスが、ナザレに帰ってから、「両親に仕えてお暮らしになった」と書かれていることです。

  もう一度言いますが、神を父とし、大人たちも驚くほどの賢さを持つ方が、この世の両親に見せ掛けでなく、真実にお仕えになった。公生涯を始める30歳頃までの18年間ほどを、マリアとヨセフの紛れもない息子として自覚的に仕えられたというのです。

  仕えるという言葉は、本来は軍隊用語です。従属する、隷属する、服する、従うとも訳せます。

  イエスは、結婚をせずに30歳頃までの18年間、両親に従い、両親を敬い、両親を正しく高く評価し、重い方として扱われたのです。ギリシャ語で「敬う」とはそういう意味です。また、その命令や求めに服していかれたと言うことです。これは驚くべきことです。

  私たちにとって難しいことは、虚心坦懐に人の命令に服し、何事でも上の人の命令に「よし」として従うことでしょう。12歳からです。今で言えば中学、高校生、そして20歳前後というのは第二反抗期です。いたって難しい時期です。親とでも張り合ったり、自分の方がよく知っているとか、分かっているとか、口も聞かなくなる時期です。イエスには、批判する能力は十分、十二分におありです。遥かに両親を越えています。でも、そうはなさらなかったのです。

  むろん軍隊式の服従の仕方ではないでしょう。心を込めて仕えられたでしょう。両親の言葉を、一種の父なる神の言葉として服されたと言うことです。

  40節に「幼子はたくましく育ち」とあります。「たくましく」とは、勢いや意志が力強く盛んなことでしょう。逞しい人間というのは意志が強固です。しかし、少年イエスの場合は、自己主張を勢いよく、頑固にしたと言うのでなく、強い意志をもって自分の意志を制し、自分自身を両親に従わせたのです。

  なぜか。その事を通して神の栄光を表わそうとされたからです。神の栄光が現われるためです。

  ですから、イエスのような「両親に仕える」仕え方は、両親の弱さや愚かさを受け入れ、それを自分の身に引き受け、必要なら慰めもし、負っても行かれたという事であるでしょう。

  ずっと以前、ある方から便りがあって、母が亡くなったとありました。お母さんは私たち夫婦のよく知る人です。お葬式が済んで、また便りがありました。誰にも言わないで欲しいが、母は自ら命を絶ちましたとありました。確か65歳か66歳です。東北の雪の降る冷たい海に浮かんでいましたとありました。都会に嫁いだ自分は、姑の世話で暫らく連絡していなかった。母は苦しんでいた。それを知っていたのに、姑の世話にかまけて何もしてあげれなかった。それがつらい。母は仏教でお葬式をしたけれど、せめて、私が死んだら自分の骨と混ぜて教会墓地の自分の骨壷に母のお骨の一部を入れて、ずっと母といてあげたい、母を守ってあげたいと書いていました。私は心の中で泣けました。

  人間ですから、慰めようとしても慰め切れない所があります。手が届きません。心の奥の奥には他人は入れません。本人だって届きかねます。天の力が働いて下さらなければダメです。「天の力に癒しえぬ悲しみは世にあらじ」と讃美歌にありますが、、神様が働いて下さらなければ到底人の力は及びません。

  しかし、イエスは両親の弱さも、つらさも、痛みも受け入れ、引き受けられました。そこには、両親の弱さへの赦しがあり、愛も、労わりもあります。

  ほぼ30歳までのイエスの18年間は、その後の3年程のイエスの公生涯。その中に、聖書に出ているような貧しい人たちや重荷を負う人たち、弱く小さくされた人たちや虐げられたり、疎外されている人たちへの心を込めた愛、そして十字架の死に至るまでの愛。これらの愛の芽生えが、ほぼ30歳までの仕える生活の中にあったに違いありません。

  「母はこれらのことを全て心に留めていた」とあるのは、わが子イエスが、何故ここまで自分たちに仕えるのか、何故このようにまでして両親を労わり、愛し、慰め、尽くしてくれるのか、その事を不思議に思って心に留めたのではないでしょうか。

  イエスは18年両親に仕える中で、両親だけでなく、人間の持つ脆さや弱さ。人を傷つけたり、傷つけられたり、病気をしたり、ふさぎ込んだり、食って掛かったり、むくれたり、弱気になったり、人間関係に色々悩む人の心を知っていかれたのでしょう。「あなたがたは、この世では悩みがある」という愛に満ちた述懐は、こういう中で培われたものでしょう。

        (つづく)

                   2009年1月18日

                                      板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真は、ホントネー修道院の風化しつつあるリリーフ。まだ僅かにその場面は分かります。)